ニコマス私史書いてみようと思ったけど無理だった
他の人が書いた「あなたの、わたしの、ニコマス史」みたいなの読んでみたいなという願望
自分が書いたらどうなるかのう、と思って筆を進めたらまぁ出るわ出るわ黒い感情が。
ちょいと個人的に時期が悪かったな^^;
ということで大幅に薄味にして年表形式で書こうと思ったら07年のメインストリームで力尽きたという体たらく。
もっと触れたい文脈は色々あるんだが、まあ書けたらいつか。
2007年
黎明期。連綿と続いてきたMADがニコニコ動画とアイドルマスターという触媒で化学反応を起こし始める。
初期のコンセプトは「MADでありながら如何に違和感を無くすか」だったことなんてまだ覚えてる人いるんだろうか。
ターニングポイントになるのはやはりmmtsgzkwys氏のエレクトロ・ワールドと桃月Pの週マス開始だろう。
エレクトロはMADという「借りてきて混ぜる」文化においてMADそれ自体で完成する魅力が提供可能であると示し、桃月PはPと視聴者のコールアンドレスポンスの関係を明示する場を提供した。
次世代への魁となるJBをorgonePが送り出し、しーなPが初期PVMADの完成形とも言えるPBを生み出したことで黎明期はひとつの極を迎える。
伝説の7月2週はその後のフロンティア時代の爆発点であった。
また、2007年のポイントとして専属Pの活躍もあったことが印象深い。
今から振り返るとあの頃はまだ「アイドルをプロデュースする」という意識が明確にあった時期といえるのではなかろうか。
そんな気がしてならない。
フロンティア期を迎え、ニコマスは映像の歴史を一気に駆け抜けていくことになる。
個人的な印象としては閣下並びに黒春香由来の愚民全盛期であり、またわかむらPの参戦が大きいだろうか。
また、バンナムからM@ster ArtistのCD展開が始まったこともこの時期の勢いの要因であったと思う。
それはキャラクター重視の時代の爛熟であり、そして映像重視時代の幕開けでもあった。
秋にはフロンティアで広がった地平に於いて己が力量を試すかのように、幾つかのイベントが催された。
底辺祭り、底z、そしていまだにビッグイベントの代名詞的存在であるKAKU-tail Party、MSC。
これらのイベントが行われたのは07年のニコマス急成長において必然的な流れだったのだと思う。
またMSCにおけるオクラ山ため蔵Pの「メカチハヤノ恋」や、まこにゃんダンスとアキリツ大百科という手描き系の大作が出てきたことも印象に残っている。
そして冬には07年バンナム展開の集大成とも言えるChristmas for you!が発売される。
それはまたL4U時代を前にした箱○版アイマスの一つの区切りでもあった。
作品としてはwandaPのもしメカ千早が小室プロデュースだったら(80年代編)という人力ボカロの萌芽があったことも興味深い。
まぁ何もかもが素晴らしかったのかというとそんな訳はもちろん無くて。
ニコマスと非ニコマス系アイマスファンの摩擦も聞こえなかったわけじゃないし、黒春香関連のくすぶりも残ってた。同人活動でもひと騒動あった。
それでも、明日死んでも仕方ねえやって時代は遠ざかっていったのだと思う。
ニコマスは07年にそれだけのものを積み上げた。
次の時代まで死なずに走り抜けちまった。
まだ見ぬ08年に対して感じていた思いは楽しみの方が遙かに強かった。
そんな時期だったように思う。