じっくり語り語られてみよう 参加エントリ No.23

イベント 『じっくり語り語られてみよう』 に参加し,作品について語っています.
作品へのネガティブな表記・ネタばれを含む場合がありますが,イベントの趣旨に乗った上での記述とご理解ください.
他の方の語り記事一覧 → 『No.23: 春香×さくら(丹下桜)『10th anniversary』


museP


【語り視点の注文】

基本的には自由に語って頂いてOKですが、可能であれば
「エフェクトや 765comm@ndに極力頼らないこの作品、どこに魅力を感じましたか? 物足りないのはどこですか?」
「あなたの考える“この作品に登場する春香”のPってどんなヤツ?」
この2点が含まれていると嬉しいです。


さて、久しぶりのじっ語。
心行くまで書けるというのは際限なく手を入れてしまうということでもあってw
言葉を定着させるのに思った以上に時間がかかってしまいました。
それではさっそく。
相変わらずまとまらなくて長いですw以下格納。

●作品の魅力について

春香だなぁ。
多分、今のニコマス視聴者が見たらほとんどの人がそう答えるんじゃないだろうか。
どこまでも春香。ただただ春香。


それはたまらない可愛さであり。ステージで見せる表情であり。
疑問を持つ必要が全くない。素直に可愛い春香を愛でるだけでいい。
そんな作品だと思う。


動画の構成で感覚的に思ったのは、「春香が近い」ということだろうか。
それは身近であるという意味ではなくて。物理的に近く感じる。
客席からステージを眺めているはずなのに。
カメラを通して眺めているはずなのに。
まるですぐ隣で歌ってくれているような気がする。


それは一つは丹下桜の歌い方と、歌の内容が生み出す錯覚。
そしてもう一つの方が大きいと思うのだけど、画が意識的に春香のアップやミッドレンジに印象的なシーンを配しているからなのだと思う。
その為春香の表情をずっと追いかけるようにしてこの動画を見てしまうわけで。
くるくる変わるけれど、どれも愛らしく幸せそうな春香の表情が強く印象に残る。

●画の効果について

多分見る側としてはそもそも画の効果に極力頼ってない、ということ自体に気付かないと思う。
画を単調にしない為の衣装替え、歌詞に合わせた演出といったものが既に十分目を飽きさせないので、エフェクトが少ない気がしない。
むしろこれ以上情報を詰めたら春香さんの表情から意識が散ってしまうんじゃないだろうか。
基本的にこの作品の方向性において画が果たすべき役割は、春香の魅力と歌詞をつなげることだと思うので。
それ以外のものを上にのせたらむしろ魅力が半減すると思う。
再生数は伸びるかも知れないけど。

●物足りない?

もし、この作品を「春香とPの1シーン」と位置付けるのであれば。
そういう前提であれば、タイトルのところとEDテロップが物足りないというかなくてもよかったかなと思う。
タイトルは少しだけ物語への没入を遅らせるし、EDテロップは意識を現実に帰してしまうから。
とはいえこれを一つの作品としてとらえる限りにおいてはそれは全然マイナスの要素ではなくて。
むしろ作品をきちんとパッケージングする役割を持っていると思う。
それ以外に作品に物足りないと思うところはなくて。
むしろ足りないのは春香に返事を直接届ける方法が存在しないことの方だと思う。
まぁその分コメント書いたけど。モニターの壁は無情だ。

●思うままにつらつらと

多分、この作品の中でのリアルタイムで存在するのって、アナカジ衣装でステージに立つ春香だけなんだと思う。
それ以外の演出はすべて春香か思い浮かべている過去の記憶であったり。
Pがステージの春香を見ていて感じるあったかいドキドキ感であったり。
そういうものを画として示したものなんじゃないだろうか。


ファンに贈る歌ではないよなと思うのだ。
アイドルというのは確かに本来はファン全員の共同幻想だ。
そうありながら、ファン一人一人の個別の憧れでもあるという二重性を持つ。
でもこの曲、このステージに関してはもうそれはアイドルではないのだよね。
それぞれの見る人の隣にいる、一人の素敵な女性であって。
もしファンがこの曲を聴くとしても、自分を「あなた」の位置に置かずにいられないだろう。
そういう曲だし、そのくらい春香の表情は幸せに輝いてる。


そして、アイマスで、ニコマスで幾多の春香の物語を見てきた自分には。
これをただステージで歌っただけですよ、と言われてもそうは思えなくなっていて。
春香の誕生日に贈られたこの作品はやはりファンに見せている姿というよりは春香とPの物語にしか思えないのだ。


自分がPだったらうれしいけど、考え込むんだろうなぁ。
ステージにいるときはアイドルでいるべきなんだろうし。
でもこの春香見ちゃったら何も言えないわけで。
こういう春香だからこそ、魅力的なわけで。
後で本気で頭抱えるんだろうけど見てる時はそれどころじゃないくらいきっと幸せな気分で。


春香という少女は、アイドルであるが故に失ってしまうものを失わなかった。
アイドルと一般人とを隔てる境界線を、ただの少女のまま越えてきたところがあると思う。
そして逆説的に、だからこそ春香は最高のアイドルなのだ。
このステージも、そんな魅力があるんじゃないだろうか。

●“この作品に登場する春香”のP

さて困った。
上のような解釈なので、この作品を大切に思う人は誰でもP足りうると思う。
それでも、あえて”自分の考える”Pを挙げるのであれば。
少々遠回りになるのだけれど、この作品から思い出すニコマス話に付き合っていただきたい。


最初にこの作品を見終えて、脳裏に浮かんだのは懐かしい作品だった。


ポンきちP


当時黒だの白だのとやかましかったところに届けられたこの作品は、とても春香だった。
少女のその時にしかない想いを静かに届けてくれるこの作品が大好きで。
色々言われているけれど。Teenageの少女そのものを表現しきるのは、春香なのだろうと思った。
○○な少女、という前置きが要らない。「少女」であるアイドル。


何となく、つながってしまうのである。
叶わぬ想いを歌ったステージと、幸せな記念日を歌ったステージが。
それは丹下桜というボーカルが共通するからというだけでは決してなくて。
少女が大人になるというのは、こういうことなのだろうなぁと思うのだ。


そしてもう一作。


ななななな〜P


EDを迎えたときに、折れることのなかったその想い。
それがあったから、この記念日が迎えられたのだと思う。
少女は、未来に向かって笑顔で呼びかけた。
だから、今がある。


“ひとりの女の子の 大事な夢 叶えさせてくれた”
それは当り前の日々だった。
恋に悩み、諦めかけ、それでもかけがえのないものに声をかけ続けた。
そんな一人の少女が大人になるまでのいろんな思いを抱く10年間があって。
その先に、この記念日があるのだと思う。




そんなふうに、ニコマスにおける春香の歩いてきた道や、さまざまな物語があって。
だからこそ春香はこんな風に歌えるのだと思う。
プロデューサーとの1年間では、思わせぶりなことは言ってても、はっきりと自分の思いを伝えたのは最後の最後だった。
あんなに傍から見てればあからさまな状況でも、春香は言えなかった。
そういう娘なのだ。
時に戸惑い、遠ざかり、それでもいつも一生懸命に大事なものを大事だと言って歩いてきた。
そんな春香が、こうしてはっきり自分の思いを相手に歌えるようになるまでのことを思う。


そんな春香のPはどんな人かと言われれば。
それはやはり“運命の出会い”の人なのだと思う。
一人の少女が大人になるまでの間、ずっと心の隣にいた人なのだと思う。
それだけでいい。それしかない。
それだけが、春香のPに願うことであり。
ニコマスで紡がれる、春香の物語の果てにいてほしいPの姿だ。


もちろんこの3作はそれぞれのPが紡いだ個々の物語だ。
それはわかってる。
だけど、もし叶うならば。
現実の世界と関わりのないアイマスという世界の中でだけは。
この3作のPが、同一の人物であってほしいなぁと。そんなことを思う。




musePはこれから、どんな春香さんを見せてくれるんだろう。
ニコマスという無限の箱庭に限界はない。
ありとあらゆる表現もアプローチもある。
ただ、なんとなくだけど。
これからも、きっとひとりの「少女」の素敵な姿を見せてくれるんじゃないかなぁと思う。
それが、楽しみでならない。