「じっくり語り語られてみよう」参加エントリ No.13

イベント 『じっくり語り語られてみよう』に参加し,作品について語っています.作品へのネガティブな表記・ネタばれを含む場合がありますが,イベントの趣旨に乗った上での記述とご理解ください.他の方の語り記事一覧 → 『No.13: ”咎 〜イバラヒメノ ツミ〜” PV 【伊織ソロ】

えびP


注意 以下の自分の解釈は、人によっては激しい拒絶感を伴う可能性が考えられます。
   それでも読んでくださるという方は、作品を見終え、ご自身なりの物語ができてから
   読むことを強く推奨します。




さらに注意
以下の解釈はあくまで自分の妄想が爆裂したなれの果てであり、全ての責任は自分にあります。
その点どうか誤解なきよう、重ねてご留意願います。




現実の伊織は、ミラーボールの下、ステージの上で踊り、歌っている。
ステージを眺める"誰か"だけが、世界を歪んで捉えている。
ステージの背景を色のない街並みに。照明を異形の眼に。ミラーボールを大きすぎる満月に。
そんな二つの世界が現れ、静かな暗い曲とともに時が過ぎてゆく。


闇の世界の中においても伊織は変わらず美しく、意思のある眼差しに迷いはない。
伊織だけは変わらない。変えられないのだ。彼女は"誰か"にとって世界の起点なのだから。
伊織の心を、唇を、奪いたいと願い、それが叶わないからこそ、"誰か"の世界は闇に堕ちた。
"誰か"の脳裏に浮かぶ伊織の表情には、無関心と、眉をしかめ困惑するような表情しかなかったのだ。


"誰か"はどうしても伊織を奪いたかった。世界が終ってしまおうとも。
理性という名の戸惑いが手を止めようとしても、"誰か"の本能は牙を突き立ててしまった。


ステージは進み、その時が来る。
月が落ち、世界が終る。


そう、それは現実でも起きたこと。


ミラーボールは落ちたのだ。 彼女に。


そして、彼女は真っ赤に染まる。




なぜ、「伊織でこの作品」なのか。
それはアイドル達の中で、伊織が最も誰に対しても意志表示がきつく、発言が過激なキャラだからだと思う。
それは生まれ育った背景であったりといった事情はあるのだけれど。
伊織の発言は真意はどうあれ、伊織が気に入った相手、伊織にとって価値のある相手しか許容しないようにとられかねない。
彼女を世界の起点とすら思うものにとって、自分が許容されない側であった場合、それは越えられない断絶を意味する。
"誰か"は世界が闇と化すほどに伊織を欲した。伊織は"誰か"にそれほど深い感情を持たなかった。
この感情の非対称性が引き起こす絶望感というのは、いかばかりであろう、と思う。
そしてこの隔絶感を表現するに足るキャラクターは、やはり伊織だけだと思うのだ。




映像面に関してはよくぞこの濃密な内容をこの長さで、というのが全体の印象。
ただ、一度見ただけでは雰囲気はつかめても何が起きたのかわからなかった。
特に前半の表現は後半を知らないと繋がらない。
これは敢えて、そのように作ったのではないだろうか。
今回の企画のように繰り返し見て、考えに考えてようやく自分なりの物語がつかめる作品として。


圧巻なのはやはり後半、伊織を起点として闇の世界とステージが切り替わり、
2つの世界が重なるものだと示すところから。
月は"誰か"の世界を照らす唯一の光。それは"誰か"にとっては伊織の事でもあるのだろう。
手を伸ばしても届かない。そこには太陽の温かさはなく、どこまでも冷たく、美しい。
その月が傾き、落ちる。その間に一度、伊織を思い浮かべたのは、"誰か"の戸惑いなのだろうか。
あの時、その心には何が残っていたのだろう。


ここからラストまでの表現を暗示的なものに止めたのは、えびPの伊織への想いゆえ。
そんな気がしてならない。




この作品の世界が好きかと聞かれたら、多分黙ってしまうだろう。
でも嫌いか、と聞かれたら、嫌いにはなれない、と答える。
いい作品だなぁと思うのだ。
ただ、自分の感じたラストの衝撃が強すぎて、そこで立ち止まってしまった。


なぜ伊織は災難に逢わなければならなかったのか。
それはこの物語の主人公が伊織ではなく"誰か"であったから。
"誰か"の中に吹き荒れる感情には、これ以外の結末がなかったのだ。
伊織をあきらめることなどできはしない。
伊織の視界に"誰か"が許容される日が来るかなんてわからない。
「いつか伊織があなたに微笑んでくれるかもしれないから、それまで無限の闇を彷徨いなよ」
面と向かってそんなことが言えるだろうか。
"誰か"にとって世界のすべては伊織だった。
それゆえ、この悲劇は起きた。


"誰か"を肯定はできない。でも、"誰か"の哀しい物語を目をそらさずに見ていたい。
それは何の解決にもならないけど。何の慰めにもならないのだろうけれど。