「じっくり語り語られてみよう」参加エントリ No.21

イベント 『じっくり語り語られてみよう』に参加し,作品について語っています.作品へのネガティブな表記・ネタばれを含む場合がありますが,イベントの趣旨に乗った上での記述とご理解ください.他の方の語り記事一覧 → 『No.21: 「セラミックガール」 半PV


チヒロP


【語り視点の注文】
「どんどんやってくれたまえ!」と言うのがニコマス界隈の基本的なスタンスですが、P・見る専ともに、一人一人には個人的な趣味趣向というものもあると思います。そこで、ニコマスの現状をある程度踏まえた上で、この動画について「ここが好き・ここが嫌い」と言うことを通して、ご自身が今求めるPV作品の方向性を語っていただきたいと思います(ポイントとしては、選曲、アイドルの人選、765コマンドの使用、内輪受け要素、ストーリー性の有無、テーマの分かりやすさ等)。


作者自身、変な動画だと思っていますので、ほかにも気づいたことを自由に語っていただければ幸いです。




こりゃまた難題だなぁ。
いつも以上にネガティヴな語りになった気がします。
その辺ご了承のうえで、読んでくださるなら幸いです。
以下、格納。





動いているけど、踊ってない。
声を出しているけど、歌っていない。


それが第一印象。
もっとぶっちゃけて言うと、春香さんに見えないんですよ。自分には。
それは語りのお題の影響が大きいのだと思う。
全体として、ニコマスアイマスに対するとある視点を動画化したもの、というのが自分の印象。
それは作者コメのあらすじを見てもそれほど的を外したものではないと思う。
その結果、この動画には自分にとっての「春香さん」がいない。
あるのはニコマスアイマス、そしてそれらを取り巻く様々な諸要素の集合体としての何か。
それを要素の羅列に終わらせるのではなく一つの作品として仕上げたPの技量と力技っぷりには驚嘆を禁じ得ない。


語り視点で上げられたポイントというのはおおむねニコマスアイマスという二極に集約され、それぞれのシーンで表現されている。
ニコマスの極に集約されたモノとしては選曲であり、765comm@ndであり、内輪受けがある。
他方のアイマスの極に集約される要素というのはあまりない。
敢えてあげるならこの二極を渡り歩く存在としての「天海春香」の核となる部分が、どちらかというとアイマス側に置かれてるのかな。


このような見立てを強く押し出した結果、ストーリー性については後付けは可能だけれどほとんどないんじゃなかろうか、というのが正直な感想。
見る人それぞれのストーリーを持たせることも可能だけれど、たぶん統一されたものではなくて、何かが漏れる気がする。
テーマ性については「ニコマスアイマス」という見立てをテーマだというのであれば非常にわかりやすいだろうけれど、ある程度事前知識がないと何のことやらさっぱりわからんのではなかろうか。


というわけでおおざっぱにアウトラインを見てきたわけだけれど。
この先何を語ればいいのだろう、と途方に暮れる自分がいたりするのである。
だって、この作品好き嫌い以前のところで止まってる気がするのですよ。
視点を提示したのはわかる。
作品として作り上げたのもわかる。
でも、その間に置かれるPの伝えたいものが自分の解釈では見えないんだよね。
歌詞の濃淡で示されるものや、最後の無言の表情に託した何かがあるのかもしれないけれど。
これだ!と踏み込めるものが自分にはわからなかった。
むしろPとしての見解やメッセージ性については意図的にケムにまかれたような印象がある。
それに対して好き嫌いって言えないのですよ。
「ああ、そういう視点はあるよね」というだけ。
面白い作品だと思うけど、好き嫌いを感じるための要素がそもそも欠落した作品に見える。
これは見る専としては「わかりませんでしたゴメンナサイ」と白旗を掲げてるに等しいと自分でも思うのだけれども。
なんとなく、それを狙って作ってないかこの作品?という気もするのが難しいところだ。


そんなふうに思ってしまうのはやっぱり春香さんに見えてないからなのだろうと思う。
なんていえばいいのかなぁ。
ニコマスのシーンでも、アイマスのシーンでも。
「工場出荷状態」のような印象がある。
パラメータは全部揃ってます。
機能はすべて実現可能です。
でもそこに、ゲームを通じてのコミュニケーションや、ニコマスを通して積み重ねてきたものが見えない。
それはアイマスの世界の二次創作として作られた作品ではなく、アイマス周辺の状況を表現した作品だから。
つまり、概念としての「天海春香」である必要性はあるけれど。
それは自分がゲームで、ニコマスで積み重ねた時間とは別の要素だと思うのだ。
自分には春香さんには見えないけれど、「天海春香」に見えるという不思議な状況。
天海春香」について論じるというだけならば、そこに好き嫌いは存在しえない。
あくまでそれは諸要素の集合として提示された概念なのだから。


なんだかネガティヴに受け取られるようなことばかり書いているのだけれど。
個人的には魅せられる作品であることは間違いなくて。
それはニコマスのシーンに惜しみなく注ぎ込まれた技術であったり、アイマスのシーンにおける表情であったり。
とても引きつけられるのだ。
だからこそ、そこに積み重ねや息吹を感じられないことを残念には思う。
主題からするとやむを得ないところではあると思うけれど。


PV作品に求めるもの。
このスタンスがすでに自分の感覚とは違う。
そりゃよく見る作品の方向性というのはあるけれど。
他の方向性を否定するわけでは全くないし、それらと出会うことも楽しみにしている。
自分にとってなじみのある分野であればそれは理解が深まりやすいかも知れない。
でも未知の喜びもあるのだから。一概には言えない。


作品というのは作者の衝動から生まれるものであって。
衝動の方向性に見る側がどうこう言うものではないだろうと思う。
自分が見たいと思うのは、作者の業の深さ。
それは思いのたけを込めて画で語る作品かもしれないし、アイデア勝負の一発ネタかもしれない。
それがどんな方向に噴出するのかなんてわからない。
だからこそ面白いところもあるし。


そんなわけで。
チヒロPが自身で提示したこの状況を踏まえて、そのうえで何を生み出すのか。
それを見たい、と思った。
自分がこの作品から読み取れていないだけかもしれないけれど。
チヒロPの選択が、覚悟が、業の深さが見たい。
そしたら、この作品を改めて見直して。
その時たぶん自分はまた違う何かを感じるのではないだろうか。