あっさりレビューしてみm@ster 013 - 星井美希 「キラキラ!」について

この記事は卓球Pのあっさりレビューしてみm@ster参加作品への100文字レビューの余熱でできています。


作品はコチラ。


お題を企画ブログより引用。

まずこの動画から何が伝わったか。
それと差し支えなければ、この動画が2000再生に満たない理由を聞きたいです。
それに対して怒ったりはしないので率直な意見をぜひ!


自分のレビューは企画ブログの方でご覧いただければと思います。
他にもさまざまな作品、レビューが集まってますので、ぜひ覗いてきてくださいませ。
そして感想もどんどん書いてきてくださったらうれしいなぁ。


自分のレビューはあれはあれで自分なりにはあっさり書けたなぁと思っています。
ただ、そこに至るまでの思考回路の迷走っぷりや、書き終わってからあれこれと思うところもあって。
そんな紆余曲折をここに書いておこうかなと。
読む方によっては不快に思われるかもしれません。
その点ご理解の上で、続きは読んでいただければと思います。




「これはストーリーMAD?それともダンスMAD?」
それが最初に浮かんだ疑問であり、最後まで残った問いでもある。
まあこだわる必要があることではないのだけど。
やはり作品について考えるときには大づかみにでも自分の中で作品の位置、というのがほしいわけで。
それが、この作品は非常に難しかった。
主題となる歌の部分に画を作ってきた作品だとは思う。
街中の美希の姿などにその印象を感じる。
でも、この歌には前後が存在しない、と感じた。
美希が好きだ、というのはあるんだけど。
そこに至る経緯は描かれていない。
また、この先に関しても、どこまでもそうあってほしい、で終わっている。
何が何でも自分の全身全霊をかけて未来をつかむんだ、というわけではなく。
その未来が来ることを強烈に祈っているわけでもなく。
今のまま、まっすぐ進んだらそこには二人の未来があるよね、という。
日常の先にある未来として描かれているような。
もちろん、この先の未来に苦しむことがあったりしても、お互いに輝いた日常を過ごしていようね、という思いはあるのだけれど。


そしてダンスMADとしてとらえるならば、断片的、というのが一番率直な感想。
一つ一つのダンスはとても魅力的。
ただ、それが流れとしてあるのではなく、合間にに街中やオーディションのシーンが入ってくる。
その為に、今その瞬間のPの記憶、思い出のザッピングのような。
そんな印象がある。


そのあまりにもシンプルな表現に、面食らった。
ポン、と目の前に放り出されたような感じで、自分で前後の文脈を補う必要があって。
それを考えられるのは、動画を見終えた後になってからだったので。


多分卓球Pにとっては、それらの文脈は当たり前に存在するもので。
改めて動画に描き出す必要を感じなかった(というか疑問にすら思わなかった)んじゃなかろうか。


だから、何度も繰り返し見て、自分なりにこの作品に対する視点やストーリーが固まってから見ると、すごく心地よく沁みる。
ただ、そこに届くには日々いくつものニコマス作品を見ていく中の一つの作品としてではなく。
今回のあっさりレビューのように、「この動画を見よう」というきっかけが必要な作品だったのかなと。


ニコマスのPV系作品はどちらかというと大作が評価される傾向があると思う。
それはPの側であらかじめ作品を完結させる方向にあるともいえるんじゃないだろうか。
Pにも自分のできるところは作り込みたい、という意識はあるだろうし。
受け手である視聴者も、エフェクトやストーリーといった面で、完成度の高い作品をより評価してきた気がする。
確かに技術の進化って理解しやすいし、考えなきゃいけない作品よりも否応なく感情と感覚をぶん殴られる作品の方がわかりやすい。
だからそれを悪いことだとは思わない。
それが全てになったらつまらないなぁとは思うけれど。


そういう意味で、この作品はニコマスのメインストリームとは異なる作品だと感じた。
視聴者なりのストーリーが加わることで見えてくるものがある動画、という点で。
再生数が2000に満たない理由も、そういうことなんだと思う。
とはいえ、非メインストリームの文脈でニコマスの平均再生数を超えてるんだから、悩む数字ではないと思うんだけど。


偉そうに何様だよ、と言われたらおっしゃる通りでございます、としか言えないのだけれど。
100文字レビューでは到底書けないぐらい考えさせられる問いかけだったので。
企画はあっさりと。そしてこのブログでは、腹くくって書かせていただきました。


最後に。
自分が上で感じたことは、今のニコマスにもまだ内在する点だと思う。
でも、卓球P自身は、すでにその点を乗り越えたんじゃないかなと勝手に思っている。



表現しているものは異なるけれど。
アプローチとして、この作品は延長線上にある気がする。
それでいて、しっかりと伝えきる作品を見せてくれたと思うのだ。