じっくり語り語られてみよう 参加エントリ No.25

イベント 『じっくり語り語られてみよう』 に参加し,作品について語っています.
作品へのネガティブな表記・ネタばれを含む場合がありますが,イベントの趣旨に乗った上での記述とご理解ください.
他の方の語り記事一覧 → 『No.25: 「アンダースタンド」 千早


音P


【語り視点の注文】

あなたの千早はどういう存在ですか?
強い子でしょうか、弱い子でしょうか、可愛い子でしょうか?孤独でしょうか?
僕なりの千早像はあります。ただ、それは今の所「アイマス」内のです。
この作品では、コミュを使っている分、プレイされている方は自分の千早と感じられるのではないか。
その様に考えておりますが、反面この表現は僕の千早になります。
お聞きしたいのは、あなたの千早像とこの作品での千早像の差異。
それと、「アイマス」内の千早と「アイマス」以降のあなたの千早について。
作品に関する事であれば、どう感じたか、どうしたら更に良くなると考えるか?
大きなテーマになってしまうので、書きたい事を書いて下さればと思います。
どうか宜しくお願い致します。


…前置きは要らんなぁ。
千早スキーの端くれとして、全力で語らせていただきます。

作品について


時を切り取った作品、というのがこの作品の第一印象。
ストーリーは存在しても、そこで完結していないのだ。
そこに至る道、そこから続く道を想起するのだけれど。
それはいつか語られるかもしれない物語のまま終わる。


そこにいる千早には日常とステージのギャップがあり。
コミュの重さを知るほどに、ステージの笑顔がつらい。
でも、ただつらいだけじゃなくて、その先の道がある。


音Pは、ちゃんとその先に行こうと手を伸ばしている。
千早は、その差し出された手にやっと気付いたところ。
まだ千早は周囲に抗って自分の道を歩くだけで必死で。
今はまだ、その手の意味を受け止めたわけではなくて。
とにかく前に進もうと。その為にその手に触れただけ。
そこに、確かなものはまだ何も生まれていないと思う。


でも、音Pはその手を引っ込めるつもりは毛頭なくて。
そんな気持ちを代弁するかのような曲が切々と流れる。
今の千早を大事にしながら、なお明日を目指すのだと。
その思いは画面には現れないけれど、その視界にある。


いつの日か振り返って、こんな日もあったねと笑える。
将来そんな位置の作品になってほしいなぁと思うのだ。
そうなるかはこれからの、音P次第なのだろうけれど。



千早像の差異

ない、としか言えないのだよな。
それはこの千早が、やはり音Pがいうところの「アイマス」内の千早だと思うから。


確かにこの千早は音Pの千早なのだけど。
違うのは音Pの千早へのアプローチであって、千早自身じゃない。
自分の視点は音Pの視点とは確かに異なるのだけれど。
自分から見ても千早はやはりこういうやつなのだ。
故に「千早像の」差異はない、としか言いようがない。


それは何でかというと、逆にコミュがあるから。
コミュがあるということはこの作品がゲーム内のその時間軸の出来事に固定されるので。
それがどんなPの作品であったとしても、時間軸が無印の中である限り。
自分はその千早を別角度から無印時代の物語として眺めることが可能だと思っている。
千早は、変わらないのだ。
違うのは見る側の視点であり、姿勢。そう思う。



音Pの視点

じゃあ自分から見た音Pの視点は、と考える。
それは「抉り込むような優しさ」にあるのではないだろうか。
アイマス」を大事にする音Pの視点は独自に付加した千早の設定というのは感じない。
その分、恐ろしくシンプルに、千早の深いところまで汲み取ろうと、潜り込んでいるように見える。
この作品における視点というのは、千早の挙動一つも逃すまいとしているような印象がある。
千早がステージで表現しようとしていることを何一つもらすまいと。
そこにあるものだけではなく、その笑顔の裏にある思いまで。
何もかもを見通したいという熱を感じるのだ。


潜り込む、という行為はもし千早の立場であれば怖いだろう。
自分の奥底まで覗きこまれるのだから。
多分音Pはそれを十二分に承知していて。
どこまでも深く潜り込もうとする反面、触れる時ですらとてもそっと、柔らかく触れるような気がする。
常に優しく、相手を傷つけないように。
そんなどこまでも潜る視線の奥深さと、触れる手の優しさの同居。
それが音Pの千早へのアプローチなのではないだろうか。


それはこの作品においてはコミュのシーンがそれにあたるだろうか。
はじめ、千早は重い心情を吐露している。
そして、世間の日常とのギャップに戸惑いの言葉が出て。
最後には「話して、よかった」といい、この先への決意を見せる。
まだ、Pという個人を認めたわけじゃないんだと思う。
ただ、自分の言葉が、ちゃんと受け止められて、ちゃんと返ってくるものだと知った。


それがゲーム上の流れであるにせよ。
恐ろしく辛抱強く、誠実に答え続けた結果だと思うのだ。
そしてそういう表現をする、ということは音Pもそうしたいということなのだと思う。
だから、この作品における千早を見る視線がどこまでも温かく、そして熱く感じられるのだと思う。



自分の視点

翻って、自分の視点を考えるなら。
…多分、冷たいのだろうなぁ。
千早は本当に危なっかしいのだ。ほっとけないのだ。
でも、千早は一人で自分の問題を克服するべきだと思っている。
だから、千早が望まない限り、自分は千早の奥底に触れる気はない。
そして、優しくもない。
自分がプロデューサーであったなら、低レベルの時に言ってしまうであろう言葉がある。


「歌に逃げるな」と。


相当ややこしいことになるだろう。それはわかっている。
それでも、もし千早が回答を望むならば、迷わずにそう言うと思う。
自分にとって千早とちゃんと向き合うということ、一人の人間として対等に扱うこと。
それは、こういう言葉を飲み込まないということだと思っているから。


千早を理解しようとして、手を差し伸べるもの。
千早を見届けようとして、手を出さないもの。
見えてる「千早像」は同じなのだと思う。
でも、この点が決定的に違うかな。



アイマス」内の千早

アイマス」内の千早については個人的には上に書いたようなところ。
千早とは「最強の逃亡者」なのだなぁと思う。
家庭に、つらいことに向き合わずとも、自らの歌で世界を切り開けてしまった。
物語の途中で千早は確かに家族のことについて向き合いはするが、あれは克服できたわけではないと思う。
ある意味、一生かけて受け入れていくものなのだろう。
そんな思いを抱えたまま、それでもアイドルとしてはどんどん成長した結果。
ある意味爆弾を内在しながら世間と向き合ってしまった。
ただ、その中で765プロの面々と触れ合い。
プロデューサーとの時間を重ね。
人間としても成長し、自らの歌を恨み節ではなく、幸福を願うものにできたこと。
それが奇跡のような救いであると思う。


この作品は、自分にとっては逃亡を始めたばかりの千早、になるのかな。
だからステージの千早の笑顔も、何となくやりきれない。
多分、ステージに上がっている間って他のことを考えなくていい千早にとってはありがたい時間なのだけど。
それを考慮したとしても、どこか日常に対する反動で、無理に笑顔になっているような。
そんな風にとらえてしまう。
コミュのシーンの影響が大きいのだろうけど。
そんなだから、やっぱりほっとけないんだよね。
自分がこのライブ見てたら、絶対「頑張れ!」って声に出すと思う。
そして、次のライブも見に行こうと思う。
千早の魅力は歌も大きいけれど、最後のところはこの生き様なんだよなぁ。


そうだなぁ。他に付け加えるとするならば。
「アイドル育成」を目指すゲームだから仕方がないのかもしれないけれど。
個人的にはあのEDは非常に危険だなぁと思う。
ごまかしてるよなぁと思うのだ。
ゲーム内において、千早の人生に触れざるをえない展開があるにも関わらず。
最後の最後まで、千早の人生について決定的な言葉がない。


千早はプロデューサーをどういう意味で必要としたのか。
プロデューサーはどういう意味で最後の答えを出したのか。
そこがあまりにも中途半端で。
考えようによっては残酷だと思う。
もし歌で挫折したなら。歌えなくなったなら。
プロデューサーを失ったなら。
千早はそれでもなお一人で立てるだろうか。
そこに確信が、持てない。



アイマス」以降の自分の千早

ニコマス的には自分は作者が送り出した物語を楽しませてもらっている立場なので。
それに何かを言えるわけでもないと思う。
余計な御世話と知りつつも願うのは、千早を大切にしてやってくださいねと。それだけ。


この作品における「ニコマス」的なものというのは音Pの視点、姿勢になるのだと思う。
一貫して音Pの特徴というのはその視点の深さと伸ばした手の優しさにあると思っていて。
それがとても好きなのだ。
出来ることなら、EDまでずっと追って行ってくれないかなぁと思う。
別に順番が前後してもとんでもなく期間があとになっても。
この音Pと千早の物語を見届けることこそが、自分の千早の物語の一つの結末になるのだから。




ED後については、願うことはあるのだけど。
それを自分の千早の未来として、確定できずにいる。
この辺、自分がPではないもので。
無限の並行世界を渡り歩いているような心境。


願望と承知で書くのならば、上にも書いたけれど千早にはやはり一人で立ってほしい。
どうもね。他の千早スキーの方々のように「俺が幸せにしてやる!」とは言えないのですよ。
連理の枝、比翼の鳥なんていうけれど。
現実には千早はれっきとした一人の人間なのだから。
誰かを常に必要とする方がおかしいのだ。
互いに一人で世界に立って。そのうえで、互いの背中を預けられるような。
そんな関係ならば素敵だと思うけれど。


千早にせよPにせよ、アイマスを見てきた限りではそこまで至っていないので。
現状では互いに溺れてしまうんじゃないかなぁ。
そういう意味で、自分は千早と「恋愛」はできないだろうなぁと思う。
雨が降ったなら雨宿りする寝床になる。
大海を渡るのに疲れたのなら、羽を休める波間の木片になる。
つまらない小石に躓かないように、その道を掃除してやる。
そういうことは、できるけれど。
それは千早の翼になるということではないと思うから。



「作品」として思うこと

お題への答えがボリュームありすぎてほとんど作品に触れられなかったのでここでいくつか感じたことを。


画について。
お見事、としか言いようがない。
やはり見る専で多くの作品を見てきた経験というのはこういう所に行かされているのかなぁと思う。
なんだろ、こっちの心をわしづかみにするカットというかタイミングというか。
そういうのが音と画と込みでわかってるんだなぁと。
反面、思うのはどの画も見せようとして勝ちすぎているというか。
ずっとアピールしっぱなし、のような感じがある。
もっと押すとこと繋ぐとことためるところのメリハリを意識すると、見やすくなるかな〜という印象。


音について。
選曲はとても千早に似合ってると感じた。
なんだかんだ言って千早というのはこういう等身大のロックが似合うと思うんだ。
辛いことがあって、解決方法がわかんなくって、それでも前を見てて。
この視界の狭い意識の持ち方に、曲があってるなぁと。
まぁどちらかというとこの曲は千早の曲というよりは音Pの心情を乗せた曲だとは思うのだけれど。
そういう意味では視界が狭いというよりは、純粋な感情をぶつける、という色合いが強いのかな。
残念、というほどでもないのだけれど思ったこととしては。
2番の部分を削るとすごく締まった気がする。
確かに1番、2番、最後の順にコミュでの表情は変わっていくのだけれど。
1番と2番の違いってそれほど大きく見えてこないので。
そこがちょっと中だるみ感につながっちゃうかなと。
それよりは、1番から最後へとシンプルに繋いだ方がわかりやすいかな、と思う。


表現について
ステージの良さ、コミュの良さをそのまま乗っけてくれたので、個人的には大好き。
今回目を引いたのは画の繋ぎ。あそこがシンプルな作品の中のいいアクセントになってたと思う。
あとは米でもついてたけれど、色調の変化はあっても面白いかも知れない。
でもこのアイマスをむき出しで届けてくれる味わいも好きなので悩ましいところ。




ということで、とても取り留めのない語りとなりました。
どうも千早のこととなると作品よりも千早語りに傾いてしまって申し訳ない。
個人的にはこのひとつ前の作品と合わせて、Fランクの千早の名作。
男性ボーカルであることを、音Pの視界と想いに振ることで逆に長所にして、見事に千早を描ききったなぁと。
この先の千早も、ずっと見届けたい。そう思います。