ノーマルPVはまだ闘える

れのP
ACM(千早センター)でarcadia [short.Ver] 【千早誕生祭】アイドルマスター‐ニコニコ動画(9)ACM(千早センター)でarcadia [short.Ver] 【千早誕生祭】アイドルマスター‐ニコニコ動画(9)


周りのブロガーが歓喜してるのを知っていまさらながら観た。
うん。凄いわこれ。
そしてこれはエフェクトで勝負しないという点で、確かに今のニコマスから見ると、ノーマルPVの文脈である。
うん。ずっと自分で信じたくて言い続けてきたけど。
やっぱりエフェクト以外でも、アイマスは魅せきるだけのクオリティを持っているのだ。
それをこんな形で体現してくれるとは。


もう少し思い込みだらけの解釈で踏み込むのであれば。
本作はPVだが、ライブではない。
「ダンス不可能なダンスで構成されている」というのが一番しっくり来るだろうか。
おそらくこの方法論を突き詰めた先駆者としては、このPがあげられると思う。


佐野倉P
アイドルマスター 『メロディック妹メタル 〜妹ライン10/10〜』 秋月律子‐ニコニコ動画(9)アイドルマスター 『メロディック妹メタル 〜妹ライン10/10〜』 秋月律子‐ニコニコ動画(9)


ダンスがぶつ切りでありながら、全く途切れることがない。
短いダンスの連打とカメラの切り替えにより、瞬間を畳み掛けることによってリズムを刻むこと。
刻まれたリズムがメロディとともに流れを紡ぐこと。
それが「踊れないダンス」によるPV。
ライブではありえない快がここにある。


そう考えるとたしかにこれはarcadiaという曲には最適な方法論なのかもしれない。
自分はこの曲にずっと物足りなさを感じていた。
リズムが弱いというと語弊があるかもしれないけど。
空間の上の方を流れていくイメージなのだ。
人の腹の底を震えさせる、地の底から揺るがすものに欠ける。
ずっとそう思っていたのである。
「踊れないダンス」は、そこにリズムを加えてくれる。
自分にとって曲に不足していた要素を、見事に画が、ダンスが下から支えている。
まさに動画の理想郷が、ここにある。


本作のもう一つの特徴は曲の余韻に対する間合いの取り方。
音に対して振り付けをガツンと合わせることでリズムを刻むのはモチロンのこと。
音が伸びるところに対する速度調整による画の残し方が素晴らしい。
あの残響、あの余韻が目に焼き付く。
どこまでも駆け上がる疾走感は、この緩急があることでもう一段階強く印象づけられているのだと思う。


もちろん更に加えてバックステージの色、カメラワークといった各要素があるわけで。
どれをとってもどこまでもブーストをかける素晴らしい作品だと思う。
自分には詳しいことはわからんのでこれ以上書けないが。


そして。舞台を終えた後にもうひとつの余韻があること。
それがまた、この作品の懐を深くしているのだと思う。
ここまでやられてはたまらない。
ようやく最後に「GJ!」とコメを打つのが精一杯だった。


本当に、心に焼き付く作品をありがとう。