届かぬ想いについて

糸の人
【アイドルマスター】桜らららら〜feat.天海春香〜‐ニコニコ動画(9)【アイドルマスター】桜らららら〜feat.天海春香〜‐ニコニコ動画(9)


アイドルと風景による静止画、というアプローチを自分が意識し始めたのは、少し前のこの作品からだと思う。
大事にしてますか?‐ニコニコ動画(9)大事にしてますか?‐ニコニコ動画(9)


糸の人も、幾つかのこういったアプローチの作品を作ってきた。
例えば同じ春香の作品ではこちら。
【アイドルマスター】”後ろ姿”を聞きながら 〜天海春香〜‐ニコニコ動画(9)【アイドルマスター】”後ろ姿”を聞きながら 〜天海春香〜‐ニコニコ動画(9)


他にはそこにある文脈こそ異なるが、千早のこちらの作品も手法としては同種のものだと思う。


情報の少ない静止画作品における利点は幾つかある。
例えば曲に意識を向ける余裕が出来ること。
アイドルと風景を、心ゆくまで眺めることが出来ること。
これらは情報量の多い動画では難しい。
情報の処理に追いつくのが手一杯で、細部まで自分のタイミングで観る余裕が無いから。


そしてもう一つ大きな点は、観ているこちら側の思いをこの作品の上に重ねることが出来ること。
それはアイドルたちがこちらに背を向けていることが大きい。
アイドルたちの表情が見えていたとしたら、我々はまずその表情から何かを読み取ろうとしてしまう。
背を向けているからこそ。我々が傍観者であるからこそ。
そこに我々自身がこれまでアイマスで、ニコマスで得たものを、乗せることが容易になるのだと思う。


メッセージウインドウは、何もそこに示すことはない。
当然なのだ。どんなに○ボタンを押そうとも、そこに表示されるのはこちら側から伝えたい言葉ではないのだから。
そこに現れるのは、既にライブラリに存在するメッセージでしかない。
だから、いつまでもいつまでも、メッセージウィンドウは、何も表示せずにそこにいる。
桜舞う世界と春香を、ただただ眺めるだけである。
咲いて散る桜の美しさは、届かぬ想いそのもので。


そして物語は、後半へと続く。
【アイドルマスター】ただ・愛のためにだけ〜feat.天海春香〜‐ニコニコ動画(9)【アイドルマスター】ただ・愛のためにだけ〜feat.天海春香〜‐ニコニコ動画(9)


本作を前半を踏まえてみるならば。
そこにあるものは、自ずと見えてくると思う。
人それぞれ見てきたもの、積み重ねてきたものは異なるけれど。
根っこに在るものは、同じなのだ。
咲いて散る桜に思いを重ねたいのは、きっと、我々だけではない。


この作品の最後に、なぜ春香はこちらに背を向けて踊るのか。
それは、この作品が連作であることの証である。
その姿を、どんな思いで見守るのか。
そしてまた、巡りゆく世界に何を思うのか。
この作品は、そんな観る側の胸の内にあるものが共鳴することで。
初めて全体像が構成される。そんな作品なのだと思う。


ごく個人的な感想としては、本作は糸の人の中でももうひとつ繋がる作品がある。
【アイドルマスター】ヘッドライト・テールライト‐ニコニコ動画(9)【アイドルマスター】ヘッドライト・テールライト‐ニコニコ動画(9)


糸の人自身によるこの作品への回答だと、自分は思った。
ニコマスとは、アイマスというモニターの向こう側の世界に触れんとする試みなのだ。
モニターという壁を、存在しないとみなすアプローチも当然あるだろう。
でも、越えられないことを正面から受け止めた上で。
なおも願い、また向こう側でも願っていることを信じる。
それも一つの愛し方だと思うのである。


そしてもうひとつ。さらに想像の羽根を暴走させるのなら。
鳩P
アイドルマスター「永遠の嘘をついてくれ」featuring春香‐ニコニコ動画(9)アイドルマスター「永遠の嘘をついてくれ」featuring春香‐ニコニコ動画(9)


今回の連作は、本作への糸の人なりの答でもあると思うのである。





余談

上記ではアイドルがこちらに背を向けていることを作品の大きな要素として取り上げた。
その効果を異なるアプローチで試みたのが、この作品だと思う。
春香 愛されない恋人‐ニコニコ動画(9)春香 愛されない恋人‐ニコニコ動画(9)


春香は向こう側から、モニターを眺め、思う。
こちらを観る春香の視線は、決して交わることはない。
でも、そこに想いがあるから。
交わらないことすらも含めて、伝わるものがあるのだ。