中途半端なタイミングでアニマス感想など

わりと自分でも「なぜこのタイミングで書くorz」という気はしないでもないのだが。
年末年始といろんな方々にお会いしてだべったおかげで自分の中でようやっとまとまってきたので仕方ない。
ニコニコの放送終わるまで待つのもそれはそれで時期を外す気がするし。


というわけで以下ネタバレの可能性大なので格納。
基本既に見てる前提で書くので観てないと何が何やらな感想になると思われます^^;
念のため空白貯め。




















































































…こんなもんかな?

前提

自分のアニマスに対するスタンスはアニメ化発表当時に書いた時とほとんど変わってない。
アイマスを作ってきた人たちが本当にやりたかったんだなぁ。
だから、とにかく無事に放映してくれと。
そのレベルから割と本気で祈ってた。
あれ。昔まだアニメが始まってもいなかった頃にアニサマに出た時、応援してた時とおんなじ気分。
運動会を見に行く父兄の心境w
なので、自分のいる関東での放送が無事に終わったことにまずほっとしてるし、喜んでる。


まぁそんなスタンスだったので、基本的にそれほど期待はしてなかった。
変なことにだけならなければいいと。
そしたら、そこに現れたのは良いアニメだった。
もう一回、ほっとした。
もっと信じてよかったんだなーと少し反省もした。


そしたら、欲が出ちゃったんですね。
ここまで良いものができたんならって。


つまり、此処から先は欲から来るぼやきです。
好きだから、ぼやきます。
「感動した!」「神回!」ってのは、どうも性に合わんのですよ。
好きなものほどぼやきたくなるのです。

物語として

アニマスは、つまり大きな円を描いたのかなと。
最後の言葉は、自分には「振り出しに戻る」に見えて。
放映前から物語の締め方としては予想の一つではあったので。
なんだろう。納得して、安堵したというか。そんな心境。
おっさん的には「ビューティフル・ドリーマー男坂エンド」という感じなのだけど^^;


ゲームの「Pとアイドル」の世界ではなく、「765プロ」という場所に回帰した風呂敷の包み方。
それは初めてアイドルマスターに触れる人にもわかりやすいし、既存のゲームユーザー層にも共有可能な風景を与えるいい終着点で。
全体の構成としても只々アイドルの日常を描く定点での世界ではなくて。
物語をしっかり動かして大きな弧を描きつつ、元に回帰させた。
日常性と非日常性どちらも魅力であるアイドルマスターという世界を描いてくれた。
実際バランスを取るのは難しかったろうし、時々脱線してるなーと感じる時もあったけどw
それでも大枠として道を外れること無く、序盤から見せたい場所をきちんと通過させて綺麗な円を描いたなぁと。
このアニメで「団結」が曲として使えなかったことが実に残念だなぁと思うくらいに。

こまけぇこと

まぁここからがぼやきになるわけですが。
今回、アニマスアイドルマスターという世界に生まれた新たな土台足り得る作品になったと思うのです。
今までCDやラジオ、そしてニコマスという世界はあったけれど。
それらは「ゲーム」という土台を起点に広がった物語で。
アニマスはそれと並ぶくらい大きな土台と成り得る作品になった。


そう考えたときに、勿体無いなぁと思うのです。
今回見せてくれた世界も面白かったけど。
こういうところを掘ったらもっと広がったんじゃないだろうか。
そんなことを考えてしまうのです。


別に「俺のガンダムと違う!」なんて言うつもりはないですよ。
アニマスで見せてくれた世界は世界で楽しませてもらったし。
否定する気は毛頭ない。
要するに、「ゲーム」側を既に記憶してるから。
アニマスを初めて見た人が、ゲームまで来てくれるなんて無条件に信じてないから。
もっとできたんじゃねえの?と。


多分自分のぼやきを一言でまとめるなら、「バランスが悪い」なのかな。
例えば、前半の一話完結型から後半の複数話連環型への構成の変化。
確かに後半の構成は千早や春香を描くのに必要だったのかもしれない。
話を盛り上げる、ということには一役買ったと思うし、風呂敷を包むということはそういうことかもしれない。
それでも、なんだろう。
大きな物語を描くにはボリュームが足りてなくて。
小さな話の繋がりとして観るには個々がちゃんと立っていないというか。
サイズが合わない服を着てるような感覚がある。
似たような感覚を感じたのが、ジュピター(というか黒井社長)のねじ込み方。
まぁジュピター自体はいい落とし所に落ち着いたと思うのだけど。
黒井社長の見せ方に困ってたような印象があるかなぁ。
まぁ順一朗社長から説明するとなると無理なんだってのはわかるからここはそれほどぼやく気はないんだけど。
余波を響と貴音がモロに被った感があるのはちと残念。


もう一つは、掘り下げ方のレベル感が統一されていない感覚。
例えばアニメでは響は「自分、完璧だからな!」と言わないのだけど。(言ったかもしれないが印象にないくらい薄い)
あの言葉の裏側に何があるのか。アイマス2ではそこを通して響という少女を少なくとも描こうとしたと思う。
アニマス16話では響の一面を描きはしたけれど、響という少女をあまり表現しなかったなーと。
ちょこちょこ出番は多いし、とてもかわいいんですけどね、響。人気もあったし。


別に同じ話でもいいんですよ。
少なくとも一番インパクトがあるのが、ハム蔵ではなくて。
現場に遅れて急いで駆けつけたときに真っ先に「ごめんなさい!」って謝る響だったらよかったな。
仕事なら当然っていう人もいるかも知れないけれど。
例え自分の責任じゃない行き違い(まぁ黒井社長の嫌がらせなわけですが)が先にあったにしても。
足元が崩れるハプニングがあったとしても。
現場に迷惑かけた。それをちゃんと謝る娘なんだと思うのです。
そういうところを大事にしてほしかった。


同じように思うのは、春香さんがパンクしてしまった時。
あの時、プロデューサーとしての律子を描いてほしかった。
もちろん、ちゃんと春香を休養させたのは律子の判断だと思ってます。
それはまぁわかる。わかってる。それでもね。
あの時点で春香にたとえ伝わらなくても。
春香を独りにしないためにあがく存在。
律子はそういうプロデューサーになりたかったんじゃねえかなと思うわけで。
そこはさ、ちゃんと見せてくれよと。


大人の事情が影響してる場合もあるんだろうけど。
こういうことの積み重ねで、アイドルたちの良いところがもし届け損なってしまったとしたら。
それが残念だなぁと思うのです。


もちろん良かったところの方がいっぱいあるわけで。
監督が好きと公言する真メインの17話は十分真の良いところ見せてくれたと思うし。
台風でライブに間に合うかわからない不安な中、ぐっと堪える伊織の表情とか素晴らしかった。
前半のやよいの家族の話だって、まぁなんてことない話の中でしっかりとやよいと伊織の良いところ見せてくれた。
やよいはアニマスでキャラが相当変わったうちの一人だと思うけど。
それでも、まぁアリだと思うくらいには大事なものは大事にしてた。



まとめ

良かったことがあるからこそ。
なおのこと、残念なところをぼやきたくなる。
もう少し、バランスが取れてればなぁ。
繰り返しになっちゃうけど。そう思います。


良いアニメでした。
でも、手放しでは褒めたくないんですよ。
だって、アイドルマスターってもっとすげえ楽しいんだ。
そこに色んな物があるんだ。
その世界にアニマスは新たな土台として立っちまったんだ。
そういう作品になっちまったから、「とにかく無事に」じゃ済ませらんなくなっちまって。
もっともっと大事にしてほしかったものがすぐそこにあったと思ってしまう。
だから、今の時点ではアニマスを俺は人にすすめる気はしないし。
名作、とも呼べない。


うん、それは今の時点。
まだアニマスは終わってない。
それこそニコマスには既にアニマスの世界が広がり始めてる。
そして公式だってまだまだやる気があるって見せてくれた。


大きな円がただの平面ではなくて。
遙か上に伸びていく螺旋なんだと俺は信じたいのです。
初監督の作品にどんだけ期待してんだって言われるかもしれないけれど。
俺はニコマスでそういう景色を見てきたと思ってるから。


アニマスアイドルマスターに触れた人たちが、もっともっとアイドルたちを好きになれるように。
これまでアイドルマスターに触れた人たちが、もっともっとこの世界を楽しめるように。
アニマスは十分にそのきっかけを作ったし、またこれからも可能性があると思う。
少なくとも、この大馬鹿野郎にぼやかせるだけの、愛着持たせてくれました。


だから、感想の総括としてこの言葉を。
「まだまだやらなきゃならんことあんだろ?」




追伸:千早に関してはここでは書ききれなかったのでアイマス全体を通してまたの機会に^^;