アイドルの根源

先日chaさんの「アイマスライブ=大リーグボール2号説」へツッコミを入れたら、
なぜかそこから「アイドルって根源は演者と客どっち側にあるのよ」という話になり。
まあ結局のところ物別れになったわけですが。


そこからつらつらと考えてたら色んなことがホイホイ連想されてつながったので、
また同じ思考をするのも面倒だからメモっておこうというものぐさな何かを以下に。


自分は生粋の「演者の芸ありきに決まってんだろが」派でして。
アイマスライブというものを「アイドルが顕現する場所」と考えるのであれば、
それは演者が成した芸が客にアイドルという概念を通して伝わることだと思ってる。
この辺り舞台演劇の役者と役の関係がだいぶでっかく念頭にある。


chaさんは上にある大リーグボール2号説の通り、基本的には演者と客の共犯説で。
極論だと客の側の心にあるものがステージを見ることで産まれる、ということらしい。
(わりとこちらが極論を詰めた結果なので向こうとしては共犯が大事なのだと思われる)


んでまあ、ぶっちゃけ答えの出る話でもないので^^;
twitterでのやりとりのお約束で話は拡散しておしまいになったという。


実際のところは客も演者もたいていは両方いるわけで。
アイドルの根源がどちら側なのかというのは問題にはならない。
ライブ自体だってプロデューサーやら何やら色んな人の意思があって成り立ってるし。
演者か客かっつーのは実際に会場で起きている何かを単純なモデルにした話で。


ただ、モノの見方がどちらの観点に発するのかって、意外と現状に紐づくのかなと。
なんとなーく、SSAアンフィニや中野の景色を思い浮かべてたのだ。

ライブに見るもの見えるもの

演者の側に根源を置くと、ライブに求めるのは「彼女たちが何を見せるか」になる。
自分がこのブログで延々書いてる感想なんかは大抵その一言に尽きる。
彼女らが舞台の上で何を成したのか。
それさえ受け取れればいい、と思う。
自分がそこにあるものを気に入るか気に入らないかとかは二の次の話。
「まずは芸を見せろ。話はそれからだ」ということで。
ライブの最中も終わってからも自分の観たものについてウンウン頭捻って悩むわけだ。


他方、客側に根源を置く場合ってのは多分ライブに求めるものが変わってくる。
想像だけど、「自分たちの望むものが見れる」ことが大事になるんでなかろーか。
「より出来のいい鏡であること」という言い方をしてもいいかもしれない。
自分の理想とするアイドル像にどれだけ添った景色を見せてくれるか。
そういう軸があるように見える。


もちろん上に書いたような視点てのは極論だから分かれてるんであって。
実際には両方を楽しむ人が多いのだろう。
ただ、この観点で先にあったライブを考えると面白いなーと。


SSAなんて特に顕著だったんじゃないかな。
ライブ後にミリマス好きな人が「ミリマスPはもっと頑張らないと!」と言ってて。
自分はステージは俺らの領分じゃないんだからしょうがなかろう、と思ってたんだけど。
客側に根源を置くのであれば、確かにライブは客の思いで出来が変わる。
だからああいう結論になるんだなと、今更理解した次第。


自分なんかはくぎゅの背中が一番大事なもん見せてたろうと思うわけで。
客なんてのはあの時にくぎゅの芸で精神を書き換えられる存在でしかない。
空間を自分の世界に染め上げること。
観るものの世界認識を変えてしまうこと。
それこそが一番価値のあるものだと改めて思った。


アンフィニは自分はLVで見たんだけれど。
自分たちの手持ち曲全部ぶっこんで、切れるカード全部切って勝負してきたあの景色。
うん、見事だったと思う。
心が思わず正座しそうな瞬間があったもの。
ああいうのが、芸だと思う。


ここまでの話の流れを踏まえて中野のライブを振り返るなら。
アイドルマスターがこれまで築きあげてきたものを大事に継いでいきます。
プロデューサーたちが今まで見てきたであろう景色を自分たちも追いかけます。
中野ライブにコンセプトというものがあったとしたら、そういうものがあって。
先輩達の曲を使ったのは、そういう「客が観たい」ものやる方法だったのかなと。
でもやっぱり自分にとってあれが不満だったのも当然だわと納得する次第^^;


上に挙げたような話はそれこそ端的な部分を例にしただけで。
実際にはシンデレラにだって客側が理想のアイドル像を求めてるケースもあるだろう。
ミリオンのステージに芸を見たいと望んでる人もいるだろう。
もし向こうに見せたい景色があったのだとしたら、こんなとこだったのかなと。



以下余談というかテキトーな妄想

偶像がそこにあるからそれを囲むように神殿を建てるのか。
素晴らしい神殿を先に建てて、そこに相応しい偶像をお迎えするのか。
歴史的にはどちらの起源を持つ神殿もあるように記憶している。
多分前者がシンデレラ方式であり、後者がミリオン方式なんだろうなと思う。


自分はどっちもOFA始まってから隠居してるので最近の事情はわからないけど。
自分の周りを見てもシンデレラのPはアイドル個人に愛着を持つ人が多くて。
ミリオンのPはそれこそミリマス合作が2回目を迎えるように、共有幻想の趣きが強い。


シンデレラ方式は「そこに偶像がある」が起点なので、わりとしぶとい。
忘れられない限りは続くと言ってもいいかもしれない。
もちろん恩恵が少なければ忘れられやすいので、継続が大事だけど^^;


ミリオン方式は「より神殿に相応しい偶像が見つかったら」というのはあって。
他の偶像(コンテンツ)に流れていくのを引き止めるのは結構大変で。
わりと演者の悩みもこれに近いところがあるんでないかと思うんだが、どうだろう。


これからはどうするんだろう。


シンデレラはアニメ化が待っているけれど、声付きだけで30人という人数がネックで。
アニマスですら十分にここのアイドルを描けてるとは言いがたいのに、どうすんだろ。
とりあえず各アイドルのソロ曲がほしいなと思うけれど、それも人数がなぁ^^;


ミリオンは客も含めて、環境をもうちょいしっかりこしらえるのが急務に思える。
色んな人が言ってるけど、このやり方でソシャゲプラットフォームは限界だと思う。
その余波もあって、ニコマスではミリマスの方が元気になりそうだけど。
ぶっちゃけ公式側でないとどうしようもないこともあるからなぁ^^;
それこそOFAを突破口にしてどうにかできんものかなぁとか思ったり。


original勢はこういう観点では整理できなさそうかな。
どちらの観点も入り混じった、まだ未分化な集まりだったといえるのかもしれない。
こっちはこっちでアニマスやって劇場版やって、色々と変化があった。
個人的には「ナザレのイエスとキリストの違い」と呼んでいる命題があるんだけど。
今のところ確たる答えも自分の中では出ていないのでつらつらと思案中。
つーか、今年一年こんなこと考えてるだけで終わりそうなのはいいのか自分^^;




まあ上に書いたようなことはアイマス楽しむ上で大事かっつ〜と別に要らんと思う。
演者ありきだけでは心の中にいた理想のアイドルに巡りあっても見逃すかもしれんし。
客ありきだけでは理想のアイドルを追い続けて流行を流浪して終わるかもしれんし。
どっちもそれはそれで楽しかった〜と笑えるならそれでいいのかなとw