おせえよ!

時雨P


相変わらずの長さなので格納。


ようやくここまで戻ってきたか。
それが偽らざる想い。
「なぜ伸びない」と言われ続けてきた頃の、あの匂い。
あの時雨Pが帰ってきた。


誤解のないようにつまらん説明をするなら、元に戻ったというのは正確ではない。
螺旋を真上から見たときに、ちょうど円になる位置に来た、といえばいいだろうか。
千早を表現することに飢えてあがいてのたうっていた頃の位置に。
でもそれは、少し斜めから眺めてみれば、緩やかではあるが確実に上昇する弧を描いていて。
以前の時雨Pの位置よりも、遙か高い位置に辿り着いたのだ。


円運動ってのはxy軸で言うなら360度全ての方向に向かって吹っ飛ぼうとし続けたってことで。
その中心におれちはがあって。
時雨Pはずっとその基点から、より遠くへと飛びつづけたんだろう。
それと同時に、基点であるおれちは自体がz軸方向に歩みを止めることなく進み続けた。
このアホみたいにでっかい螺旋運動は、その二つがもたらしたものだと思う。
ほんと、見るたんびにヤキモキするし。
大好きだし凄い困るしあっけにとられるしやり場のない思いもするし泣きそうになるし大好きだし。
でもそんな中でこういう作品観せられると、やっぱ俺この世界見届けてえって改めて思うわけで。
つまり、もっともっと魅せてくれ。
最後にはただただ、そう思った。



という意味不明な個人的時雨P論はおいといて本作について感想を。
もちろんこの作品がこちらの傑作への時雨Pなりの返答であることは間違いないわけで。


Die棟梁P


改めて今見ても、素晴らしいの一言しか出てこない。


Die棟梁Pの作品が、音を映像化する方向にあったのに対して、時雨Pは歌の中にある概念、想いを映像化した。
一番はっきりそれがわかるのが色使い、だと思う。
Die棟梁Pは色の要素をそのまま映像に出すことで空間のリアリティというか生々しさというか生命力を魅せたけど。
時雨Pは明らかに白をベースに置き、色が出てくるところは完全にアクセントとして用いている。
この辺はそれぞれに得意分野というか傾向がはっきり出たなぁと。


時雨Pが白を用いた理由なんてのはわからん。
ただ、おそらく、このアプローチで多色を用いたら埋もれてしまうものがあるのはわかる。
それは、「視る」という行為。
千早の瞳は当然この作品の大きなモチーフだが、それと同時に視聴者側にとっての視るという行為。
それはやはりこの作品の重要な点で。
モニタ風の枠の見せ方、画的にシンプルな構成は、視るという行為を散乱させない為のものに思える。
もしここに色があったなら、多分視線は散ってしまったろうなぁと思うのだ。
つまり、視点を千早に固定させるにはこの色数の少なさが、不可欠の条件だったのではなかろうか。
もっといってしまうなら、「無色」という色がもし存在するならそれを持って来たろうとすら思う。
本作品における白とは、光量に近い何かに思える。


個人的には最近の時雨Pがみせる薄緑がかった白、という千早の色は何となく生気に欠ける気がして残念なのだが。
本作においてはそのコンセプトに完璧に合致したなぁと思う。
いくつか前の作品において、この画が時雨Pの脳裏にあったのかはわからないけど。
個人的にはここに辿り着く過程であったのかなぁと勝手に納得した。


もう一つ。この作品がダンスMADである必要性について。
正直わからん。
言語化、メッセージ化が全く不可能な曲ではないと思う。
ただ、元々Die棟梁Pの作品が存在することを受けてのものだから。
曲を時雨Pと千早の世界に属する要素として用いるのは難しかったのかなぁと。
最低限主役と同格に曲そのものを引き上げる必要があって。
これに言葉をぶち込んだら、バランスが崩れるのかもしれない。想像だけど。


で、四の五の言わずにダンスはどうなのよ、と聞かれたら。
視る側としてはそつがないなぁ、というのが正直な感想。
ダンスで魅せる作品、ではないと思う。
一番主張してんのは、千早の瞳だからなぁ。
ただ、曲にも構成にもしっかりと沿っていて。
違和感を感じさせないだけでなく、きっちり作品の土台になっているなぁと。
どちらかというと名脇役というか。縁の下の力持ち的な存在かな。
うん、でもいい仕事してる。


と、観た直後の興奮をそのまま書き殴ってみた。
うん、一つの帰着としてお見事だと思うし、当然こっからさらにかっ飛んでくれるんだよね?とも思った。
まだまだ、見せてもらいたい千早がいっぱいいるのだ。
観る側の勝手な希望だけどね。
だから時雨Pも思うままに、作りたいもの作りまくってくれればいいなぁと思う。
多分これからも好きになったり戸惑ったり困ったりやるせなくなったり大喜びしたり勝手にしてるけど。
それはそれで、矛盾じゃないと思うし、むしろ当たり前の楽しみ方だと思うから。
いつだって待ってるし、どこまでだって追っかけ続けよう。