じっくり語り語られてみよう 参加エントリ No.27
イベント 『じっくり語り語られてみよう』に参加し,作品について語っています.
作品へのネガティブな表記・ネタばれを含む場合がありますが,イベントの趣旨に乗った上での記述とご理解ください.
他の方の語り記事一覧 → 『No.27: k@non伊織編 最終話 「明日に続く鎮魂歌」』
トリスケリオンP
【語り視点の注文】
あらためて、原作であるkanonとアイドルマスター
どっちの世界観もどこまで大事にできたか
(原作知らない人にとって どちらかの世界観をなるべく壊さないで)
物語の雰囲気を出せたかがポイントかと
まず最初に。
自分はKanonをプレイしていない。
葉鍵、というジャンルについては経験もあるしたくさん説教されたこともあるし何となく知っている部分はあるけどw
それもだいぶん昔の話なので、あてになったもんじゃない。
故に、以下の語りは基本的にアイマス側の視点から観たもので、Kanonに関する言及も想像して書いている部分が多くなってます。
アイマスしか知らない人間が観たら、こんな風に感じたよ、ということで。その点はどうかご容赦いただければ。
背中合わせのもの
自分の観た限りにおいて、本作はアイマスの設定の元、Kanonの世界を紡いだ物語。
そこにアイマスは確かにあるし、丁寧に描かれていると思う。
ただ、アイマス自体は主題ではないのだろうなぁと。
そう思った。
おそらくその一番大きな理由は、あがいていないから。
アイマスをトップアイドルへの道を自らの手で切り開く物語だと考えるならば、本作はその切り開くという行為が存在し得ない。
与えられた状況は常に問答無用で受容され、あくまでその中で愚直なまでに精一杯に過ごす。
そんな諦念の上に成り立つ幸福の物語に見えるのだ。
そして最後に彼女たちが心の内に思う夢に、また戸惑うのである。
この物語を経ても、あの「奇跡」をまた望むのかと。
あんなろくでもない「奇跡」であっても、まだ彼女たちの心は耐えられるのかと。
それがKanonによるものなのか、Pの独自設定なのかは判別がつかないのだが、おそらく前者であるように思う。
それはこの物語において、あらゆるものはラストのやりきれない感動のために存在するから。
そこにある「奇跡」の条件も、経緯も、展開されるストーリーも。
総ては結末を必然たらしめるために用意されたものであり、理不尽きわまりない。
この理不尽を見せきるところに、葉鍵文脈の匂いを感じるのだ。
この点においてアイマスとKanonは背中合わせの関係だと思う。
世界を切り開くアイマスに対して、世界を受容するKanon。
そして登場人物にアイマスを配置した以上、物語の方向性にKanonをもってくるのはバランスとして他に選択の余地がないわけで。
方向性が真逆である両者を繋ぐこと。
それが本作の要になるのはある意味必然の帰結であり、お題で問われていることなのだと思う。
繋いだもの
結論としては、反対の方向性を持つ両作を元にしながら、本作はその危なっかしい綱渡りを見事にわたりきった。
それは一つにはKanon側の文章表現でアイマスのキャラクターを語るというアプローチをとても丁寧に積み上げたことの効果だと思う。
自分は「非日常的日常会話」と呼んでいるのだけど。
あの現実にはあり得ないんだけどあったらいいなぁと思わせる会話のやりとり。
それは日本のノベルゲー文脈が産んだキャラクターを知り、興味を持ち、共感してもらうためのひとつの文章表現のお作法で。
それを繰り返し積み上げることで、キャラクターと世界が少しずつ馴染んでいったように感じる。
いきなり最終回を観たら、さすがに違和感があったと思うのだ。
連作の前半でアイマスとKanonを十分に馴染ませたからこそ、後半の展開が可能になったのだと思う。
もう一つは、両作の共通点である「夢」をうまく重ねたことが大きいのではなかろうか。
Kanon側でいうならばおとぎばなしのような世界観そのものが「夢」だ。
そしてアイマスでいうならば「アイドル」という象徴的概念がそれにあたると思う。
「夢」を重ねることで、二つの物語はつながった。
「アイドル」という概念を結末に織り込むことで、二つの物語は融合し、一つの結末に結びつけられた。
アイマスを語るのではなく、根幹である人物と、物語の果てにある概念に置き、その間をKanonが支える構成。
そこがこの作品におけるPの妙手だなぁ、と思う。
ここにある「アイマス」
登場人物達は、アイマス自体とは異なる視点から紡がれているが、十分にそれぞれのらしさを見せてくれた。
彼女たちの日常を自分も楽しんだし、とても丁寧に描写されていると思う。
アイドルを目指すこと、アイドルとして存在すること。
それはとても綺麗に表現してくれた作品だと思う。
それでも。
「TrueED無きアイマス」
正直に言って、それが本作を見ての感想である。
やむを得ないことではあるのだ。この物語ではまだ「トップアイドル」が存在しないのだから。
そしておそらくではあるがこの物語がKanonの紡ぐ物語からみても一部分でしかないことも、影響しているだろう。
大事にしてくれたものはたくさんあるのだ。
彼女たちはちゃんとそこにいた。存在した。それは痛いほどに伝わってくる。
「夢」に重ねられた想いだって、どうしようもないくらいアイマスだった。
でもやはり、本作がアイマスの「世界観」を大事に出来たかと聞かれたならば、自分は否としか言いようがない。
むしろそこだけが、なかった。
世界観以外は、とても素敵に表現されていると思う。
しかし、途半ばなのである。
この先の物語がないことには何も見えない。
全てが結末のために収斂していく物語の中で、彼女たちの受容と行動が一本道に見えてしまうこと。
そこに思わず「なんでだよ!」と思ってしまうこと。
それはやはり心のどこかに燻っているのだ。
だからこそ、現在新シリーズが始まっていることをうれしく思う。
その結果が自分の想いと異なる方向であったとしても。
いつかK@nonなりの、「TrueED」を見せてほしいと思うのだ。
作る側にしてみれば大変な労力であろうし終わりも見えない旅路ではあると思うが。
ノベマスとして
最後になってしまったけれど、ノベマスとしてのこの作品に関する感想を少し。
読みやすく、のめり込みやすく、観終えたあとの衝撃がでかい。
前半の軽妙さはすんなり読者を引き込むし、後半の怒濤の展開は気づいたらもう観ずにおれないアリ地獄である。
いい意味で、やられたなぁというか引きずり込まれた、と思わされる作品だった。
もう少し中を覗くならば、やはり小鳥さんの存在が特筆されると思う。
アイマス本編のようにアイドルとPだけだと、多分もっと窮屈な印象があったと思うのだ。
物語を進め、ストーリーに幅をもたらしてくれたのは小鳥さんの存在あってのことだと思う。
小鳥さんの立ち絵の多様さもそこには大きく寄与しているが、描写としてもとても観ていて安心できた。
そして亜美。
亜美は亜美のままで、この物語における唯一の救いとも言えるものを描いてくれた。
多分彼女がいなかったら、観るのを投げ出していたと思う。
亜美がいたからこそ、物語を紡ぐ糸は途切れることがなかったし。
また観る側をも救ってくれたのではなかろうか。
好みの作品かと聞かれたら、多分違うなぁ。
でも、観てよかったなぁと思う。そんな作品である。