じっくり語り語られてみよう 参加エントリ No.28

イベント 『じっくり語り語られてみよう』に参加し,作品について語っています.
作品へのネガティブな表記・ネタばれを含む場合がありますが,イベントの趣旨に乗った上での記述とご理解ください.
他の方の語り記事一覧 → 『No.28: 君のとなり

ぎみっくP

【語り視点の注文】

自分の中で、曲のイメージ(歌詞・使われた背景等を含めて)を起承転結を入れて、誰が見てるのか? 誰が歌ってるのか?まで考えてストーリー性を入れて作ってみた実験作であり。曲へのシンクロと言う部分では最高の出来だと自負できると共に、自作の中で一番好きな動画で、これ以上のものが未だに作れないと思っています。


ただ、自分のイメージが必ずしも思ったとおりに伝わる事は少なく、だからと言ってそれぞれ見た人が違うイメージを持つからこそ面白いし、正解なんてないと思います。


なので、今回はこれがどのような話だと感じたか(出来れば誰が誰に対して歌ってるのか?)とか、見て感じたままを語っていただきたいと思います。


あと、1点…最高に上手く行ったと自負してる演出が有ります。そこが何処だか、わかっていただけたでしょうか?


えー、ぎみっくPの作品、大好きなのです。
アニソン・ゲーソンがまだまだ多かったころに、「ただPSY・Sを広めたくて・・・。」の一言と共に現れた作品たち。
それは自分の音楽体験の一時代と思いっきり重なるもので。
その後の様々な作品も含めて、あの頃の想いがこうしてアイマスとともに現れてくれるのがすごくうれしい。
といっても曲に頼るわけじゃなくて、ほんといろんな試みを作品で見せてくれるのが楽しくて。
ガチの良さもさることながら、「なぜこの展開でオチを持ってくる!w」というあたりもすごく好きw


本当にいい仕事してくれるPだなぁと。常々周りに語りまくってるのですが。
いざBlogで書くとなると、好き過ぎてどう書こうか途方に暮れていたというw
こうしてよい機会をいただいたので、一生懸命書かせていただきます。


ただ、自分は動画を分解するのがものすごく苦手なのです。
なので、今回もなるべくお題に沿ってとは思うのですが。
どっちかっつーといつものだめひゅ語りになってしまうかなぁと。
というわけで、参ります。

初感

「あずささんはどこにいるんだろう?」


いや、わからなくはないのだけれど。
あずささんはそこにいる。
ただ、これは「あずささんのいない765プロ」の世界なのだろうか。
そんなことを思うのである。


あずささんがいるのならば。
天使として現わされたあずささんは「あずささんと千早との交流によって千早の中に生まれた何か」であると思うし。
あずささんがいないのならば。
あの天使は千早の中に元からいたもう一人の千早である。


この辺、もっと掘るならばペルソナ2の概念をこの物語の中に見るかなど、キリがない話でもある。
その辺は観る側の解釈に委ねられている気がするのだけど。
観る視点によっては表現が不足しているようにも捉えられかねない作品だなぁとも思ったのだ。
まぁなんだ。妄想の補完まで望むのはこちらの無茶でしかないのは重々承知しているのだけど。
それを望みたくなるくらい、こちらの心に繋がってくる作品だと思った。


一応自分の視点としては、あずささんのいない、ペルソナ2は考えない上での物語として語ってみようと思う。
そうしないと765プロのみんなのシーンであずささんが忘れられてることになるし。
「天使」について死ぬほど深く潜らにゃならんのでw



作品の流れ

ぎみっくPのお題にあるとおり、非常に明確にストーリーが示された作品だと思う。
うまく笑えない千早、「天使」のアプローチ、765プロのみんな、「天使」と千早の歌、そして笑っている千早。
一連の変化はとても明瞭であるし、歌詞を読めばそのシーンがすっとこちらの心に入ってくる。
この辺は本作に限らず、ぎみっくPの得意技と言えるのではなかろうか。
具体的なやり取りがあるわけではない。でも、伝わる。
それはたぶん歌詞に対する表情選択のうまさとそのテンポではないかと思う。
そこに違和感が少なければ少ないほどに、物語は明瞭に伝わる。
ダンスシンクロとはまた別の、ストーリー系PVとしてのシンクロの良さはこういうところにあるんだなぁ。



誰から誰へ

いきなりだけど、実は固定されていのではないか、というのが率直な感想である。
基本的には「天使」から、千早への歌だと思うのだけど。
そもそも「天使」たるあずささんは、千早の外にも内にもいる気がする。
いうなれば、あずささんは千早の心の中に芽生えた「優しい勇気」のようななにかで。
それが顕在化して外に形をなした何かでもあると思うし、千早自身でもあると思う。
そう考えると、この歌はもう一人の自分が自分に歌っている物語なのだ。
時に見守るように、時に言い聞かせるように。
つまり、この歌において歌を届けるもの、受け止めるものには二重性があるんじゃないかと。
それはあずささんの捉え方で変わってくるもので。
それがまたこの物語に深みを与えているのではないかと思う。


それから、この作品では歌の誰から誰にの関係性を示すガイドとなる要素として、字幕の色とフォントの変化がある。
その流れを自分なりにまとめてみた。
見づらいと思うがどうかご容赦。

字幕 歌い手 届け先 備考
あずさ 千早 メインの構成。ただ千早にこの声は聞こえてない
あずさ 千早 千早に届けるために歌っている部分
あずさ(千早) 千早(みんな) 今までと同じ構成でありながら、千早の意識が変わってゆく
青&紫 あずさであり千早 千早(みんな) 千早の歌であり、あずささんの歌でもある
フォント変更 千早 千早(みんな) 最初と同じ言葉だけれど、千早は笑えている


うーん、余計わかりにくくなった気もするが。
「天使」から千早へ贈る歌であるのはこの歌の根幹である。
そして、紫の時点で「天使」の歌は千早に届けられて。
青&紫の時点で、千早は自ら歌い出す。
それが基本構成かな。
そして、「天使」と千早を「自分」という枠でくくるなら、この歌は自分から自分への歌。
そして、自分からみんなへの歌。
そういうことなんだと思う。


なんといえばいいのだろう。
要するに、個人の歌でありながら、その意識は途中からもっと大きなものにも向けられていると思うのだ。
それは上の表でいうなら「みんな」としたところであり。
作品でいうなら765プロのみんなが現れるシーン。
あそこから、この歌はある種普遍的なものも含めた歌となっていると思う。


そして、最後のつぶやきはある意味誰へでもない呟きのようなもので。
でも、その時の千早の脳裏には、きっと「天使」の姿があったんじゃないかなぁ、なんて思ったりして。
そんな千早の笑顔に、何とも言えない温かな気持ちになるのである。



演出について

二人がともに歌う直前の、千早とあずささんの顔が重なるあのシーン。
この作品の核となる部分であり、ストーリーの歌も画も全ての最高点がここに集結した見事な演出だと思う。
でも自分が一番好きなのは、765プロのみんなと千早とあずささんの3つの画を重ねたあの頂点少し前の流れかな。
あそこの千早の表情がすごくいい。そしてあそこにはこの物語の要素がすべてある。だから好き。
作り手としてはどちらが好きなんだろう、と興味深く思う。


個人的にぎみっくPのうまさだなぁと思ったのは題字とそのあとのシーンのあのピントのぼやけた世界。
あの情感というか、雰囲気を出せるのは見事だなぁと。
ぎみっくP作品の良さの一つはモノではなく空間を伝える力にあると思っていて。
まぁだからこそオチを炸裂されると見事にやられてしまうのだけどw
そういう点で見事だなぁと常々思う。



自分の感じたストーリー

笑う事の出来ない少女の元に舞い降りた「天使」。
「聴こえてる歌」は、文字通りの歌ではなく、千早に聞こえる内外両方の「声」なのだと思う。
周りの人の言葉に「心が削られ」ることもあれば、自分自身の言葉で自分を苦しめてもいた。そんな千早。


そこに現れた「天使」は、笑顔を、歌をくれた。
もう一人の千早の存在を、なぜ千早ではなくあずささんの姿にしたのか。
衣装を替えて登場させることも可能だったのに。
それは、あずささんに象徴されているのが「笑顔」だったからではないかと思う。
あずささんとの何気ない会話を思い浮かべると、そこにはいつもあの優しい笑顔がある。
優しくこちらを包み込んでくれるようなあの笑顔。
そして、慈愛に満ちた癒しの歌。
それらは、千早に全くないものではないけれど。
アイマスでいうなら年月を重ねて、プロデューサーと交流して、765プロで過ごす中で変わっていけた部分であって。
一番最初の千早にはなかった部分だから。


愛はほら、ここにある
そういってくれる「天使」がいて。
765プロのみんながいて。


少女から大人になるその瞬間に 灯火絶やさぬように
自らの殻の中に閉じこもったままでいた少女が、そのまま大人になっていたら失われていたかもしれないもの。
愛って言葉がなくならないように。
「天使」は現れた。そして笑顔と歌の中で心は通い合った。
「天使」と千早はともに歌い、そして千早には笑顔が戻ってきた。


そんなふうにこの物語を思う。
あずささんと、千早という二人の物語。
それはアイマスの中においても、形こそ違えどこういう物語だったんじゃないかな。
この作品にはあずささんが天使としてしか現れないのが、そういう意味では少し残念だったりする。
もしそうあずささんに伝えても、きっといつものあの微笑みで受け止められてしまうんだろうけど。