絶対単品こないだろうからもう書いてみる

三浦あずさメドレー 〜M.A.squrade〜
三浦あずさメドレー 〜M.A.squrade〜


上で書いた通り、自分のこの作品への希望は単品でそれぞれのパートをまた十二分に楽しませていただきたい、ということ。
ただ、それが叶わぬパートが一つあるので。
此処で書いておこうと思う。


太陽のあずさ。
それはあずさ派が常々追い求めてやまぬ存在だったと思う。
あずさ派だけではない。数多くのニコマスに触れた人たちにとって、特別な存在だった
届かない処に行ってしまった太陽を追って、幾つもの作品が現れた。


それがこうして形になったこと。
そのことに、まず何よりも感謝を。




そしてこのパートについては3A07との関係性について、触れざるをえないわけで。
ひまわりもPも、不可欠な存在ではなかったにもかかわらず、それを持ってくる必要があった。
この作品で、何を伝えたかったのだろう。


正解など、ない。
ただ、自分が思ったのは。サビの歌詞である。


幾千の愛の言葉より 貴方がそこに居るだけでいい
誰も代わりはできないから 微笑みが明日への光になる
あの空の 太陽の方へ


3A07とは、この言葉の真逆の存在なのだと思う。
あずささんがたったひとつだけ望むこと。
それを奪い取った物語。それが3A07だ。


本作の中で、Pとあずささんは、互いを視界に収めることはない。
ジレンマの森の中、同じ場所に居るにも関わらず。
お互いが居ることを空気から感じながらも、眼差しを交わすことはない。
それでも、そんな状況ですら、傍にいてほしいのだ。あずささんも、Pも。
それがこの作品の解だと、自分は思う


まあ一言でいうなら、「Pは絶対に傍にいなきゃいけねえんだよ!」という、叫びのような何か。
別に3A07自体を否定しているわけではなく。
心意気というか、覚悟のようなレベルでの気概。
そんなものを感じるのである。
3A07の後だって、あずささんの心の中にはPは居る。
ただ、そういう言葉や概念による誤魔化しではなく、ただただ傍にいろと。
失わせんなよ、そんなふうに語っているように思えた。
…考えようによっては某Pへの言葉のような気もするが、まあそれは妄想が逸脱しすぎかw




この作品が単品として存在し得ない現状を、本当に残念に思う。
でも、見れて良かった。うれしかった。


そしてなにより、あずささんは幸せもんだなぁと思ったのだ。