千早について

アニマスについては前回の記事で書きたいことはほぼ書いたのだけど。
意図的に千早については書かなかったわけで。


単純に今までアイマス2の千早についてちゃんと書いてないので。
というか書けなかったので。
アニマスに一足飛びはできないよなぁと。


でもまぁいつまでも保留にしとくわけにもいかんので。
誕生日に小言を書くのもいかがなものかとは思うのだが。
正直に書いておくこともまあ無駄ではないし大切なことだと思うので。
久しぶりに頭抱えながらつらつら書いてみようかなと。


というわけで、前回の記事の続きのような、そうでないような何かを。
俺の視界から見える、如月千早という概念について。
以下、格納。

無印の千早について

正直、今更書くことはあまりない。
ゲームで会ってくれ、とも思うし。
会った人それぞれの千早がいるだろうと思う。
その姿はそれほどぶれないだろうとも思う。


少女の日常において、世界との関わりが一気に広がり変わっていく。
それが無印の基本的な物語。それは千早に限らない。


この頃の千早は不器用という一言に尽きる。
ただこの娘は良くも悪くも才能がありすぎた。
歌に特化することで、自分の人生を前に押し進める才能があった。
コミュニケーションなどなくても、構わなかったのである。
歌の世界ではすべてをねじ伏せることができた。
歌うという結果だけで、自分を正当化することができた。
それが千早の救いであり、不幸であったのだと思う。


だからこそ、千早は気づく必要があったのだ。
それはただ歌に逃げているだけだということを。


ニコマスにおいてこの頃の千早を最も鮮やかに描いたのはめいろっくPの冒険彗星だと思っている。

【アイドルマスター】「冒険彗星」榎本くるみ【千早】


そこにいるのはこう輝くしかない千早であって。
だからこそ、唯一無二の輝きで。


弟の話を、家族の話を、何一つ自分は変えられない。
残酷な事実を受け止めて、でも自分を変えることもできなくて。
欠けたるものであることを自覚し、誰もが欠けていることを認めて、前に進むお話。
そこにいる千早は、世界から逃げてはいない。


Pだって何もできない。
ただ、そのとき隣には居たのだ。
千早が自分の傷を認め、乗り越えるそのときにそこにいた。
それがPの役目。


だからこそ、千早のTrueEDはあまりにも残酷であった。
欠けたところを補いあえるパートナーとして願ったPは、結局踏み込まなかった。
そこまでの自信がなかったのかもしれない。
理由はわからない。
ただ、自分には、Pと千早の将来に幸福は見えない。


ニコマスにおいては、千早派は意外とこの点は乗り越えているように思う。
それは昔の専属Pの考え方が強かったからかもしれない。
「俺が頑張ればいい。千早に悲しい思いをさせなければいい」
それがもう前提である作品が多い気がする。
ゲームで千早に伝えられなかった言葉を補うかのように。


一方、千早とPの先行きの危うさにはノベマス界隈が踏み込んだ印象がある。
千早を共依存性質としてとらえ、現実と狂気の境界線を破滅に向かって歩く物語をいくつか見た。
個人的には、千早は共依存にはならんだろうと思っている。
失うということの意味を知っているから。
むしろ失う覚悟を持った上で、まっすぐに向かい合える娘だと思う。
ただまぁ物語としてはわかりやすいから。仕方がないのかな。


話が逸れた。
ようするに、無印千早の物語で描かれたのは一人の少女が現実と向き合う過程であり。
副次的な問題として、千早という欠けたる才能の補完はどうあるべきか、という問いであった。
その答えとしては俺が支えるという方法論が無印のEDへのユーザー側の解として存在し。
一方でそれは共依存という根本的に問題は解決されないだろうという見方も残した。

眠り姫について

そして物語はアイマス2へと舞台を変える。
半年進んだ時間軸とパラレルワールドと聞いたときに、いい予感はしなかった。
また同じことを繰り返すのか、と思ったのである。
個人的には無印の先を見たかったのだ。
そして、the world is all one!!を聞いて、いきなりへこんだのである。


曲の間奏で千早は言う。「最高に幸せだわ!」
ああ、俺もういらんのね。本気でそう思った。
Pがいなくてもちゃんと千早は幸せを見つけられたんだなぁと。
さらにミンゴスをして「この歌は千早そのもの」と言わしめた眠り姫。
そこにいたのは一人で現実へと歩みを進める千早であった。
諦念と共に。


眠り姫を何度聞いても、何度歌詞を読み直しても。
そこにあるのは、孤独の果てなのだ。
喪失に気づき、ただ一人で受け止め、それでも生きていかざるをえない物語。


アイマス2において、千早は家族の問題も弟の問題も、一人で乗り越えたのだと思う。
それが、心から悲しかった。
同じ話を繰り返したくない。
そう思ったのは事実だけれど、隣にいることすら許されないとは思わなかったのだ。
繰り返すなら、せめて傍に居たかった。
だから、未だに千早には「間に合わなくてごめん」と言うしかない。
おそらく、生涯言い続けると思う。


つまり、自分から見えるアイマス2の千早は諦念の果てなのである。
そこにいるのは無印で不器用ながらも希望を抱き歩き続けた千早ではなく。
ある種自分の人生を達観した千早。
それが、悲しい。


だから、自分は眠り姫もthe world is all one!!もあまり好きではなかったりする。
そこにいる千早は、可能性を閉じてしまったように見えるから。


自分から観たアイマス2の千早に近いニコマス作品、というのは余り記憶にない。
部分的に、千早にとっての「愛情」を表現した作品として心にしみたのがおぼろPのこちらの作品。

【アイドルマスター】如月千早 愛について【Kaku-tail 6】


千早にとっての「愛情」という概念が深さを増した世界がここにあると思う。
それは少なくとも不幸ではない。
個人的には、寂しいけれど。

アイマス2の千早について

アイマス2の物語については、やりたいことはわかるけど出来が悪いとしか言い様がなくて。
千早は千早で既に諦念の果てで為すべきことを成す状態だし。
PにいたってはP業とかどっかに行っちまって。
ただただ千早が好きで好きでたまらないだけのあんちゃんと化しているし。
そらグダグダにもなるよなぁと思う。


眠り姫の項で書いた通り、自分には千早はもう生き方を固定してしまっているように見えた。
千早はもう自分の望みで歌うことはなくて。
自分を大切にしてくれる人、自分に願いを託す人に対して応えるために歌う。
それはもう巫女のような存在で。
自分の人生ってもんがない。
だから、皆が願ってるなら自分がぶっ壊れても歌う。
自分自身の我に価値を全く見出してないと言ってもいい。
そしてPはただの勘違い野郎なのでそれに気づきもせず、神様やらつばめやらに願い続ける始末。
アホかと。馬鹿かと。


百歩譲って、あのシナリオでもよかった。
奇跡が起きるなら起きても構わん。実際ミンゴスの喉は少なくとも治ったのだし。
しかしそこに千早の我はあるのだろうか。
自分には納得なんぞできなかった。
少なくとも、歌えなくなるという事態にあって、千早が歌と自分の関係を見つめ直せるのなら。
まだあの物語に、価値はあった。
眠り姫から始まり、もう一度千早が我を回復する物語であったなら。
そこをPが台無しにしたなぁと思う。
なんとも残念でならない。


無印であげられた二つの問い。
少女が現実と向き合うということ。欠けたるものとしての千早の補完。
この観点において、アイマス2は風呂敷を包む方向に帰結してしまったのだと思う。
少女は手の届かないものを諦めてしまった。
そのかわり、今の千早に可能なことを、あらゆるリスクを顧みず行う。
自らの望みを棚上げしてまで。
歌い続けることに変わりはないし、多くの人に歌を届けたいという願いも変わってない。
でもそれは如月千早の可能性を追求するのではなく。
「与えられた天分を全うする」姿に見えてしまうのだ。


そして欠けたるものとしての千早は、ついにその補完ができなかったように思う。
アイマス2で待っていたのは千早の欠けた部分をフォローし合う相手ではなく。
ただひたすらに、愚鈍なまでに千早が好きなだけの男だった。
愛されるから愛する。
それはそれで一つの幸せかもしれない。
でも俺には、どこかその幸福には儚さというか寂しさを感じるのである。

アニマスの千早について

とまぁ自分の中でアイマス2の千早の物語についてはいい印象が全くない。
それを受けるアニマスも、ろくなことにはならんだろうなと思っていた。


で、最初のインパクトがあのやさぐれた目で蒼い鳥を歌う千早だったのだ。
ああこじらせてるこじらせてる。
そう思ってある意味安心したのは事実。
アイマス2のような諦念にはまだ至ってない。
ここに居る千早はまだ眠り姫にいたってない。
そこはわりと逆に救いだった。


しかしその後、20話に至るまでのしつこいまでのネガ表現には辟易した。
もちろんゲロゲロキッチンやら生っすかといったシーンはあったのだけど。
なんでこう地道にボディブロー打つんだと。


通しで見終わった後から思えば、20話への意気込みが強すぎたのだろうなぁ。
そういう感想しかでてこない。
20話を盛り上げるためだけに、延々とネガかましてくれたのかと。
うん、ゴリやっぱ表に出ろとしか言い様がないかなぁ。


千早のいいところ、もっと出せたろうよと思わずに居られないのだ。
20話までの中で自分がもっとも好きな千早のシーンが、海辺のバーベキューで飲み物を差し出す千早になっちまうのはどういうことなのよと。
アイマス2よりさらに千早の笑顔を減らされては。
やってられるかと言いたくもなる。


そして20話から24話までかけて千早について語られたわけだけど。
やっぱりそこにも個人的には釈然としない思いがある。
それは先に無印やアイマス2の項であげた話と重なるのだ。

20話について

見終えた直後の自分の感想。

千早が失ったのは弟だけではなく家族なんだよ。そこを削りまくったこの物語に俺はうなずけんよ


20話を見た時点での感想としてはいまでも間違ってないと思う。
そこにあったのはアイマス2の物語をさらに単純化して陳腐化した話だったのだから。


20話が全面的にどうしようもない話だったかと言われれば、そこまでは言わない。
961プロの出番を作る必要はあったし、ジュピターと黒井社長の決裂に必要なポイントでもあった。
最後まで見た結果から言うならこの時点で765プロとしての結束を見せておくことも必要だった。
それらの要素を結実させて渾身の歌を歌う千早。
これ以上ないほどにぐしゃぐしゃに泣きながら浮かべた千早の笑顔。
それは確かに千早が閉じこもった世界から生まれ変わるときに必要な産声であり、泣き顔だったのだと思う。


それでも。
弟の物語をいつまで繰り返すのかと、本当にうんざりしたのである。
そもそも世間に公表されるという観点で千早が歌えなくなるというのが、自分にはよくわからなかった。。
世間に後ろ暗いわけではないのだ。千早自身が許せないだけであって。
事実が表に出て恥じ入るような生き方は千早はしていない。
事実は事実として認め、その上で自分を責めてずっと生きてきた。
そういう馬鹿だ。
あれで歌えなくなるならそもそも歌ってないのである。


世間に公表される衝撃があるとしたら、むしろ家族に関することなのだと思う。
それでいて、家族については結局なんの話も方向性もなかった。
まぁそらそこに深入りできるアイドルがいないので仕方ないのだけれど。
それにしても、千早の母まで出てきてあれでは救いがなさすぎる。


あげくPはそこには居なくて。
俺は一体あと何度ごめんと言い続ければいいのかと。
ほんとに千早に向ける顔がなかった。


で、この感想は半分はずれて半分さらに悪化することとなる。その先の物語で。

21話について

基本的に千早の物語も1話完結だろうと思っていたので。
一番最初の千早の描写に関する感想は上で書いた通りだった。
結局は、千早の物語は24話までかけて語られたのだと思っている。
一番わかりやすいのはもちろん眠り姫を歌った21話だろう。


なぜ、20話で千早は眠り姫を歌わなかったのか。
歌えなかったのである。
春香の、そして765プロのみんなのおかげで歌うことができた「約束」の場所。
あそこに明らかに「眠り姫」の物語は真逆の存在だから。
一人で立つ千早の物語を描くことができなかった。
だから、もう一度物語を用意するしかなかった。
眠り姫を歌わせるためだけに存在した回。それが21話だと思う。
まぁそのおかげでジュピターの決定的な決裂を描くこともできたのだが。


とはいえ、あのステージで見せたのは千早の最高のパフォーマンスであったと思う。
ライブステージを、観客を。
すべてを吹き飛ばして自分の風を吹かせることのできる存在。
こと歌に関しては765プロの最終兵器。
それが千早だ。
どんな逆境からでも、一発逆転が可能な才能。
あの時点では、おそらく765プロでも美希と千早しか持たない才能であると思う。


眠り姫をどうにかしてアニマス世界になじませること。
千早の才能爆発を表現すること。
一人で歌い切ることで、765プロという家族と改めて絆を結ぶこと。
その点において21話は確かにいい出来だった。
千早は20話でみんなに助けてもらったからこそ、一人で歌おうとする。


「人の心に幸せを届けられる人」
千早にとってアイドルという概念の行き着く先は、たしかにここなんだろう。
小鳥さんの歌で気づけたことは、幸せなことだと思う。
あとは、届ける相手に自分自身も含まれなきゃいけないってこと。
それに気づくのがこれからの課題。

23話、24話について

もちろんこの2話は春香メインの回であり、そして765プロの回なのだけれど。
千早にとっても重要な回だったと思う。
家族の回復としての765プロの位置づけを明確にすることで、千早の物語は765プロの物語に繋がった。
まだこの時点では、それが千早自身の望むことなのか、春香が望むからなのか。
その点に関しては曖昧だと思う。
まぁそれでも少しは前に歩けたのかな、とは思う。
結果として千早の物語はまたも重荷を克服するというか、マイナスからゼロに回復するだけの話になってしまったのだが。


とはいえ、結果的に765プロ始まって以来最大の危機である。
アイドルマスターという世界樹の幹たる春香が揺らぐってのはそのくらいでかい話で。
ここに千早のプラスに転じる物語を入れる余裕もないし、そこを語る気もなかったのだろうなぁと思う。


春香の状況に真っ先に気づくのが千早であること。
最後の最後についに動くのが千早であることはアイドルマスターという世界における春香と千早の有り様を端的に表していると思う。
ジョーカーが美希であることも含めて。


千早はコミュニケーションが苦手ではあるけれど。
決して鈍感なわけではない。むしろ人間関係に敏感な方だとすら思う。
ただ、自分が踏み込んでいいかの自信がないので。
基本的には765プロのほかのアイドルが先に動くことが多い。
ただ今回はほかのアイドルが誰もが動けないもしくは気づくことすらない忙しさの中で。
珍しく、千早が最初に動かなくてはならなかった。
逆に言えばそれくらい後がない状況だったのである。


このあたりは話の構成の都合上だと思うのだけど。
割とほかのアイドルたちはとばっちりをくってるなぁと思う。
ここまで放置するほどドライな子たちとも思わないのだが。
まぁその辺の動くに動けない描写もあるにはあったんだけど。
特に律子はここで動かんといけない立場なわけで。
その辺りの描写が少なかったのが残念でならないのは以前にも書いた通り。


見終わった後から遡って考えるならば。
おそらく23話24話が先にあったのではなかろうか。
765プロを再定義すること。
そのために春香はパンクする必要があった。
千早は春香に、765プロに救われる必要があった。
家族喪失の代替えという位置づけで先に765プロが存在したから。
千早の物語はああなったのではないかと今では思っている。


全体を通して再度アニマスの千早の物語を考えるのであれば、確かによく作ったなぁと思う。
765プロという主題に着地するために必要なものを順序だてて丁寧になぞって、少なくとも破綻せずに着地した。
それはアイドルマスターという物語を表現するために腐心したスタッフたちの成果であり、素直にうれしいのだ。
結局のところ、より大きな物語を描くために千早と春香の物語はああならざるを得なかった、ということのような気はする。


それでも。
無印から追いかけてきた自分の視点から見るならば。
千早の物語としてはアイマス2、アニマスと続く中でむしろ窮屈になってしまったと思う。
率直に、残念なのだ。
アニマスの千早は、無印のように傷を抱きしめて前に進んだわけでもなく。
眠り姫の諦念に達したわけでもない。
千早の抱えた物語は簡略化され、765プロの物語の一部になってしまった。
その結果、そこに居るのは765プロありきの如月千早となった。

如月千早

アニマスにおける千早の物語を良い悪いで判断したくはない、と思う。
少なくとも彼女は帰ってきたときに、「歌いたい」と言ったのだ。
それは半歩にも満たない歩みかもしれないけれど。
大事な一歩であったと思いたい。
大きな流れの中でまた見失ったかもしれないけれど。
いつかあのときの半歩が糧になる。
そんな未来を俺は何の根拠もなく思ってる。
そして経緯はどうあれ。
あのとき眠り姫を歌った千早は、間違いなく公式が描いた如月千早の最も羽ばたいた瞬間であったから。


今の時点で概念としての如月千早を最も端的に見せてくれた作品。
それがトカチP・少年P・汁粉Pの合作の視界であると思う。

アイドルマスター 世界点 如月千早


なんだかんだ言って、千早はよく見ている子だから。
俺がグダグダ考えるようなことは、言葉になってなくてもわかってるのだと思う。
それでも、誰かの為に歌ってしまう優しさがあるだけで。
優しすぎて、自分の大切さに気づけないだけで。
そして俺も、その優しさに甘えてしまっている一人で。


無印の千早も、アイマス2の千早も、アニマスの千早も、「今」を無碍にすることはなかった。
どの千早もそのとき自分ができることを不器用にやり続けた。
自らを大切にしてくれる人、自らに願いを託す人を決して放っておけない優しさは変わらなかった。
自分自身を大事にしないところも相変わらず変わらなかった。
いつだってあいつは大真面目に馬鹿だった。


あと半年出会うのが早ければ。
765プロの危機がくるのがもう少し後だったら。
千早は自分を見つめ直すタイミングが持てたのではないだろうか。
無理をしてボロボロの身体で歌い続けたり、765プロのために先頭に立ったり。
そういう他人のための生き方をあの一年で過ごさなくてもよかったのではないだろうか。
そんなふうに、少しだけ残念だったのである。
「千早自身」を見せてほしかったと。


アニメからアイドルマスターに触れる人が数多く居ることを考えれば、自分の願いはただのわがままなのだろう。
それでも、いつまでも同じ話を繰り返してほしくなかったのだ。
パラレルワールドであるならばなおのこと。
違う視点から「如月千早」を見せてほしかった。
実際、それが成功しているアイドルもいると思う。
765プロにおける特化型の、不動のキャラクターであるが故にこうならざるを得なかったのだとしても。
それでも、千早はもっと自分のために生きていい。
俺はそういう千早を、見たかった。


でも、この動画を見たら、信じられたのだ。
きっと「如月千早」は、ちゃんとわかってると。
だから色んな思いはあるけれど。
アニマスの世界が生まれたことは、やはり祝福したいと今は思っている。

余談

結局アニマスは、アイドルを問う物語でありながら765プロを問う物語に帰結した。
それは全く重ならない話ではないから、否定する気はない。
あのとき「またね」と言ってくれたアイドルたちを俺はアホなので暢気に信じている。


それでも、やはり765プロの神格化というのは何となく引っかかるというのが正直なところである。
アイドルたちにとって、765プロは不可欠なものなのだろうか。


少なくとも、一人例外がいると自分は思っている。
それが、ジョーカーたる美希だ。


春香がパンクしたときに真正面に立つべくして立っていた存在。それが美希だ。
そして、24話で千早が765プロの有り様について問いかけたあの場面で、一人誰とも目線をあわせなかったのも、美希だ。
姿見に向かって語る美希は、まるで自分に言い聞かせるように見えた。
彼女に765プロが不可欠とは、思えないのである。
あえて言うなら、今の美希に必要なのは、765プロではなく赤羽根Pだろう。
正直なところアニマスの美希の未来には個人的にはPSP版の美希が重なって見える。


それでもあの場にきて賛意を示したのは、一つには律子の存在があったのかなぁ。
なんの根拠もなく、そんなことを思う。


別に二心を抱くとかそういう話ではなくて。
765プロが大事であることは全てではない、というだけのことなのだけど。
アニマスの先で春香は、そして千早はいつかそこをもう一度考えることになるのかな。
そんなことを思った。


バンナム765プロが大きすぎる世界からの脱却を、SPでも2でも考えていたのだと思う。
まぁそれをユーザーに伝える方法をものの見事に間違えてすっ転んだわけだが。
アニマスは逆の存在なのだろう。
ある意味錦織監督がぶち込んだバンナムへの返事なのであって。
だから、765プロに還って行く方向性を帯びることは仕方ないことだったのかもしれない。


新たにモバゲーの展開も盛んになった今、アイドルマスターという世界はもはや一つの方向だけを向いてはいないのだと思う。
個人的にはどの方向も構わない、というか否定するもんでもないかなと。
それに自分がどこまでついていけるのかはわからないけれど。


不器用で、優しくて、大真面目な馬鹿がそこにいるなら。
俺はいつまでも小言を言いながらその姿を眺めているだろう。アホなので。