アイドルマスター劇場版 感想

さて、何から書いたものやら。
ネタバレもクソもない超シンプルな映画なので感想書くと内容に触れざるをえない^^;
というわけでこれから観る方で内容知りたくないという人はこの先は読まない方がよろしいかと。



ざっくり全体の感想

じっくりコトコト煮込んだ2時間。
話自体は実に単純で、正直30分アニメ2話でも作ろうと思えば作れると思う。
ただ、作り手が見せたいものを乗っけるのにこんだけのボリュームが必要だった。
そういう映画かな。


話の筋はお世辞にも良いとは言えないと思う。
というかアニマス春香回のアレンジと言われても仕方ないわけで。
画も危ういところはあるし音ズレもやらかしてるし、いないはずのキャラが出てきてたりとかもある。
でもね、この映画の主題の前にはそれは野暮なことになっちまうんだよなぁ。
うん、ずるいわ。


んでは、とりあえず時系列でタラタラと。



導入

常々思うのだが、アイマス自体をアニメ化するより生っすかの劇中劇の方をガチで作ったほうが面白いんじゃなかろうか。
キサラギにせよ仁義無きにせよ今回の眠り姫にせよ。
ほんとそのくらい活き活きしてんだよなぁ^^;
つかみとしては最強の飛び道具っぷりで。
なんだかんだいって映画見る前って緊張してたんだけど。
ここで肩の力が抜けた気がする。


そしてTHE iDOLM@STER(無印版)がくるのがたまらない。
いや、確かにアニマスもそうだったし正攻法ではあるんだけど。
イントロ聞いた瞬間に「ん、OK。ようやった。」ってもう本編始まる前にある種の納得に至ってしまった。
キラーチューンとはこういうのを言うのだなぁ^^;
765プロの各々が元気に頑張ってる姿はやっぱり見ててうれしいもので。
あれだとSランク〜Bランクくらいにはなってるんかねぇ。



合宿

765プロの夏休み兼ライブ練習という贅沢極まりないシチュエーション。
各自の成長っぷりやグリマス勢の紹介兼状況説明に前半をまるっと当てられる豪勢さ。
765プロのアイドル内に問題点を持ってくるのはもうTVの春香回でやってしまった以上、
グリマス勢と赤羽根Pが焦点になるのはある程度しかたのないことかな。
最初っから765プロの候補生ではなく、スクール所属にしたのは苦心したのかなーと思う^^;
まあ一旦765プロに引き取るという問題解決へのアプローチを一手増やせたというメリットも有るんだろうけど。


で、ここでおおまかに本作のアウトラインが見えてきて。
ここでの話の筋の悪さへのフォローっぷりがすさまじい。
例えば、そもそもバックダンサーにアイドル候補生じゃなくてプロ呼べば何の問題もなかったわけで。
そこには善澤さんからの質問という形で高木社長の意図があったことを示してる。
いくらなんでも高木社長甘々だろうと説明聞いても自分なんかは思うんだけど^^;
春香がリーダーに指名されるのは、こういう765プロの風土もあるのかなぁ、などと思ったり。


そして赤羽根Pのハリウッド研修もここで明らかに。
うまいというかずるいなーと思ったのは2つ。
ひとつは765プロの眠れるバルカン半島こと美希に先にハリウッド行きの状況を作ってあること。
まあ予定がなくても美希ならハリウッドに飛んでくんだろうけど。
それだと話がとっちらかるので予め封じ込めてるという^^;


次に、赤羽根Pの研修期間をぼやかしたこと(ゲームでは2年だっけか)。
その後の話の流れを見ても、赤羽根Pは帰ってきてプロデュースする気満々なわけで。
不在時の状況に備えるためにも律子はプロデューサー業に専念しますよ、ということなのかなと。
この辺りに関しては、制作側が「Pとしての律子をきちんと描きたい」という欲求が先にあったのだと思っている。
なので赤羽根Pのハリウッド研修がちょうどいいエクスキューズになったんかな。
いやいや素直に社員採用しなさいよ社長とか思わないでもないんだけど。
あそこの採用基準て「高木社長がティン!ときた」だからある意味鬼のように採用ライン高いのよね……。
メタに考えれば映画の為に新Pキャラ立てて声優準備するってのもアニマスの線上に置くならなんか違うなーと思うし。
まあこの点に関してはパンフで若林神が「台本が出来た初っ端に監督から謝られた(笑)」とネタにしてたので。
それならこっちがどうこういうこっちゃねーなと。


千早のニューヨーク行きや美希のハリウッド行きはよくて、なんで赤羽根Pのハリウッド行きは寂しくなってまうのか。
これ、多分一見さんにはわけわからないと思う^^;
でも多分、ニュアンスとしてはとても大事なことなんだろうと思う。
自分でもまだうまく言葉に出来ないのだけど。



合宿終了後〜どん底の状況

ここで描かれるのは基本的に同じ話の繰り返しで。
テーマを充分に浸透させつつ問題が深刻になっていく過程をじっくり描いていた。
個人的にはお泊り時の765メンバーの人割りが実にうまかったと思う。


グリマス組はダンスついてけない組とついてける組に分けて描かれていたけれど、
ダンスついてけない組は可奈のエンジンがうまく回れば他のメンバーを引っ張っていける。
逆に言えば、彼女たちを復活させる方法は現時点で存在しない。
だからここでグリマス勢に必要なのは単純に先輩として力づけることで。
雪歩ややよい、真ってのはそういうメンツなんだよな。
貴音も理知的に見えるけど基本的に大雑把だからなぁあの人^^;
雪歩の「頑張れば大丈夫だよ」は実のところグリマス勢の悩みには何の解決にもなってない。
でもこの時点で必要なのは解決ではなく経験だからこそ、雪歩の言葉には力はなくとも価値がある。


ダンスついていける組は本来なら奈緒と美奈子が距離を置く志保を巻き込むのが理想なんだけど。
志保がストレスで噛み付きモードになってるので、まずそれをどうにかせんといかん。
そうなると問題の本質を捉えてるメンバーが必要なわけで。
伊織を筆頭に、響、美希、あずさってのはそういう人なんだろうなと。
伊織以外は勘でたどり着いてそうなのが恐ろしいが^^;
亜美真美については個人的には逆配置な気もするんだけど。
竜宮小町組をまとめて移動させるのは自然なので致し方なく。
ここでグリマス勢に語られたのは、問題の本質そのもので。
ああ、765プロはTV版春香回を越えた時にそれを知ったのだなぁと思った。
グリマス勢がわからんのも、しょうがないんよね。


あとは合宿後だと美希の表現が秀逸だったなぁ。
ちゃんと、春香を観てるわけですよ。
でも、伊織がきっちり志保を止めるまでなーんも言わんのですよ。
そして最後の最後にさらっと、春香が今立ってる場所を教えるわけですよ。
相変わらずのジョーカーっぷりにはしびれたなぁ。



可奈を迎えに

春香と可奈の電話でのやりとりは、実に見応えがあったなと。
個人的には可奈の立場に共感を覚える人間なので。
「キラキラしてない」の一言を絞り出してくれたそのことに感謝。
対する春香さんの届けたい言葉が見つからない、届かないあのもどかしさもまた見事。
ここは画もほんと頑張ったと思う。


そしてようやく春香が動いて、始まる大捜査線。
動き出した彼女たちは、ある意味ステージと同じように輝いてたと思う。
それぞれの色の傘がまた映えるんだこれが。
心が動いてる、生きてるってのを伝えてくれるシーンだった。
橋の両側から追い詰めるシーンは「どこの2時間ドラマだw……あ、2時間のドラマか」とか思ったのは秘密だ^^;
あと可奈が太ったのはSPのおにぎり騒動のオマージュのような気がするのだが、まあ気づかなかったことにする^^;


大丈夫か、大丈夫じゃないか
頑張るのか、頑張れないのか


そんなことは問題の本質ではなくて。


今どうしたいのか


それだけでいいんだと。
このテーマは、この映画版そのものがそういう存在なのだろうと思う。
アニマスTV版が始まると聞いた時、「ああ、作りたかったんやなぁ」と思った。
映画版も、おんなじことなのだ。
出来の悪いところはたくさんある。
それでも、今どうしたいのかは受け取れたと思う。
だから、この映画を観れたのはまあよかったなと。



アリーナにて

結局のところ、グリマス勢に実感をもたせたのは「アリーナの広さ」だったのだなぁ。
それはそれで残念なんだけど。妥当な気もする。


ここでの天海春香も、また素晴らしかった。
中村繪里子の思いを、中村繪里子を出すことなく天海春香に継がせて、言の葉にしたと思う。
これを聞いたら、隣にいる役者は出番の多寡とかどうでも良くなるだろうなぁと。


実にしょうもないことで狂った歯車を、無茶苦茶な思いで引き戻した。
それをやっちまうのも、それができちまうのもアイドルなのだ。


可奈が離脱する理由なんて、ぶっちゃけた話どうでもよかったのだ。
天海春香にとっては、「アリーナライブを全員で成し遂げること」があの瞬間全てだった。
可奈がいなくなった時点で、それはもう全力ではないんだと。


うん、どう考えても志保の方が理屈は正しいよね。
でもそれは、算盤弾く人のやることで、アイドルのやることじゃないのよ。
まあどんだけ任侠集団なんですか765プロ、という気もしなくはないが^^;
それはとてもとても強く、日本で育った「アイドル」という概念の有り様だなぁと思う。
一度でも765プロの暖簾をくぐったなら、もうそれは身内なんよ。
そいつの心が泣いてるのをほっといたら、もうそれはアイドルじゃない。
すくなくともそれは天海春香じゃない。
そういうことなんだと思う。
あいつにとっちゃ、アリーナの一番後ろのお客さんも、身内なんよ。
そういう思いを全部抱えて、輝くこと。
それが芸だと。



ライブシーン

すみません、一番グッと来たの、ステージが始まる前のシーンです^^;
あれはねー、よかった。ほんとよかった。
ステージに上ってくアイドル、手を繋いで開幕を待つ姿。
俺が見たかったのはこの景色なんやと。
もし俺がああいう生き方をしていたなら、多分一生あの景色だけで生きていけるだろう。


ライブが始まってからは、あんまりこうガツンと来るものがなかった。
理由の一つは、ペラい^^;
アイドルのアップとかミドルはまだ気にならないんだけど。
遠景についてはライトがのっぺりしすぎに見えちゃって。
そこをカメラワークでねじ伏せに来た、という感じかなぁ。


この辺はニコマス観てるからってのは大きい気はする。
カメラワークが不自由だったから、絵作りが光の見せ方で進歩したニコマス
それに見慣れた人間からするとあの景色はなんか違う気がして。
実際、ライブに行って俺らが観てるのはアイドルであって。
アリーナの広さじゃない。
でも上に書いたように、あそこで公式が見せたかったのはアリーナの広さで。
この広さを埋め尽くす思いがあるんだと。
その思いを今どう輝かせるかなんだと。
うん。それはわかる。わかるんだけど、勢い余って踏み外したなぁと思う。
ライブのシーンより、EDの伊織と志保のツーショットの画の方が鮮烈に焼きつくようではね、うん。
そこのすれ違いがとても残念。
あと、一曲まるっとという構成もライブ感が足りない理由かな。
まあそれはライブ見たきゃさいたまスーパーアリーナ来いやってことだと思うことにする^^;

余談

と、つらつら眺めてきたわけですが、流れから書き漏れたことも多々あるので以下思いつくままに。

千早について

感想をチラホラ見るとだいぶ千早に言及した記事があるようで。
愛されてんなぁ千早、とうれしいのはうれしいのだが^^;
なんだろうね、このベトナム帰還兵が平穏な日常に帰るために日々を過ごすのを眺めてるような気分は。
うん、春香のそばにいる千早は無くてはならないピースだった。
母にチケットを送ると照れながらも前に踏みだそうとする千早もうれしかった。
あの手紙は、出すことに意味があるわけで。
一緒に添えた写真で、765プロという家族と歩みを続けてると伝えたことが重要で。
母親が実際に見に来たかどうかは、まだまだ先の話でいいのだと思う。
まあEDでニューヨークから手紙を書いているシーンの宛先は、母親な気がするんだけど。
あの栞は、母から送られたものなのかなとか、勝手に思ってます。
このご時世に文通から始まるゆっくりとしたコミュニケーションてのも、千早らしい。
写真も含めてね、そういう意味だと思うのです。一歩一歩、始めるのだと。


あと、これは千早に言ったらすげー嫌がられそうなんだけど。
志保が春香に噛み付くシーンでつらそうに下を向いてる千早を観て、
「おまえ今、あん時の母親と同じ顔してんぞ」と言いたくなったという。
ほんと、親子やなぁ^^;


まああれです。TV版春香回のように765プロの中の問題だったら千早が動かにゃならんかったけど。
志保の件については伊織に任せるのが正解だと思う。
伊達に765プロの切り込み隊長やってませんよ、竜宮小町は。
その竜宮小町のエースなんですから。今回の成長っぷりでは一番ではなかろうかと。

輝きの向こう側へ

これはこないだ新宿の広告見た時に初めて気づいたんだけど。
英字でのサブタイトル、"TO THE OTHER SIDE OF THE SPARKLE"となってまして。
パンフの最後にも書いてあるのを今確認したんだけど、なんでこんなちっちゃく書くねんと^^;


確かに英語に直訳するとこれで正しいらしいんだけど。
個人的には「輝きの向こう側へ」というサブタイトルは"over the rainbow"みたいなニュアンスだと思ってたので。
見たとき結構衝撃だった。


"TO THE OTHER SIDE"をどう受け取るか。
それはじっくり考えたいなぁ。
さいたまスーパーアリーナも、ワンフォーオールも待っているけれど。
先がどうこうではなく、過去がどうこうではなく。
色々と悪いとこもてんこ盛りだけれど、それでもなお今どうしたいのかをぎっしり詰めた何か。
おそらくは、2nd Visionの締めくくりの始まり。
そういう存在としてこの映画を受け止めた上で。
つらつら考えていきたいなと。